白パンと独裁者

少年ナニングを演じるジャスパー・ビラーベックくんの好演と広角で撮られたアムルム島の美しき風景

2004年の「愛より強く」からほぼすべて観ているファティ・アキン監督、久々にいい映画を撮りました。2007年の「そして、私たちは愛に帰る」以来でしょうか。もちろんその間オムニバスを含めますと10本ほどの映画を撮っていますので完全に個人の意見ではあります。30代前半だったファティ・アキン監督も早52歳です。

白パンと独裁者 / 監督:ファティ・アキン

ネタバレあらすじ

A Hark Bohm film by Fatih Akin

時代背景はヒトラーが自殺する1945年4月30日あたりからドイツ敗北後の数ヶ月ではありますが、映画は直接的に戦争そのものやナチスに関わることを描いているわけではありません。

その時期を12歳で迎えた少年が時代の変化に戸惑いながらも受け入れていく姿を描いている映画です。その少年ナニングを演じているジャスパー・ビラーベックくんの好演が光っています。また、アムルム島というデンマーク国境に近い離島の風景がナニングの思いを優しく包み込むように美しいのです。

少年のモデルとなっているのはファティ・アキン監督の「恩師でありドイツ映画界の重鎮ハーク・ボーム(公式サイト)」さんで、その幼少期の記憶を元にしたシナリオも共同になっていますし、当初は本人が監督する予定だったようです。ただ健康上の問題からでしょうか、ファティ・アキン監督が指揮を執っています。映画冒頭に「A Hark Bohm film by Fatih Akin」のクレジットが入って映画は始まり、ラストシーンではハーク・ボームさんが海岸に立ち夕陽を浴びる姿で終えています。ハーク・ボームさんはドイツでの公開の2ヶ月後に亡くなられたそうです。

アムルム島のナニング

ナニング(ジャスパー・ビラーベック)とヘルマン(キアン・ケップケ)が広大な畑でじゃがいもの植え付けを手伝っています。すでに敗戦濃厚のドイツ、食料の配給もままならず、ナニングも一家の働き手であり、労働の対価としてじゃがいもなど食料をもらうということです。

連合軍の爆撃機の編隊が轟音とともにやってきて海に爆弾を投下していきます。字幕ではバラストとしていましたが、ハンブルクへの爆撃の帰りなのか、バランスを取るために残った爆弾を落としていったという意味なんでしょう。

東プロイセンからの避難民が島にやってきます。ひとりの少女のアップ映像があり、この後の展開でキーになる子であることを示しています。畑のオーナーと思しきテッサ(ダイアン・クルーガー)が戦争が終わると呟いています。

という敗戦濃厚のドイツですが、島はいたって静かです。ナニングの家族は母親ヒレ(ローラ・トンケ)と叔母エナ(リーザ・ハークマイスター)、そして弟と妹の5人家族、ヒレは臨月かという大きなお腹を抱えています。父親は親衛隊の将校で本土(おそらくハンブルク…)での任務についています。

ナニングの家族はハンブルクからアムルム島に避難してきているものと思われます。後に島の子どもたちが東プロイセンからの子どもたちに出ていけといじめるシーンで、最初はナニングも島の子どもたちに加わっていたのですが、お前も島のものじゃないと言われていました。ただ、このシーンだけで特にいじめが取り上げられているわけではありません。

ヒトラー信奉者の母親

夕食時、ナニングが母親に戦争が終わるのと尋ねます。ナニングは父親が帰ってくることを期待しただけと思われますが、母親は誰が言ったの! としつこく問いただします。母親ヒレはヒトラー信奉者であり、ドイツが負けることなど天地がひっくり返ってもあり得ないことなんです。

母親は何人かの名前をあげますがナニングは首を振り続けます。誰と言わない限り永遠に続くかと思われる母親の勢いに、ついにナニングもテッサの名前に頷くしかありません。母親は何も言わずに出かけていきます。密告に行ったのです。後日、テッサが畑仕事をしている時にナチ党員と思われる男がやってきて警告していきます。テッサはナニングにあの母親にこの子ありだ!と怒り、土を投げつけていました。

実はナニングもヒトラーユーゲント(ナチ党の青少年組織)に所属しているのです。ただ、ナニングには明確な意志はなく、親衛隊の父親にこの母親ですのでナニングにしてみればそういうものだと単に受け入れているだけということです。ナニングにはナチスやヒトラーがどういう存在でドイツが今どんな状態にあるかはわかっていないようです。

このことについてのエピソードとしてハーマン・メルヴィルの『白鯨』を友だちのヘルマンに貸すシーンがあります。ナニングは書斎に並んだ父親の書いた本を自慢気に話した後に『白鯨』を取り出し、エイハブ船長はヒトラー、沈没する船はドイツであり、鯨は神だと誰かの受け売りのように言います。設定としてちょっと変ですので記憶違いかも知れませんが、いずれにしてもナニングの意識としてはヒトラーユーゲントとしての「ハイル・ヒトラー」も単に挨拶程度のものだということでしょう。

この友だちのヘルマン、むちゃくちゃいい子なんです。最後までナニングへの態度が変わらないんです。この後映画は、ナニングが白パンの材料を求めてひとりで奔走する姿を描いていくことになりますが、その時々にも学校に来なかったねと心配してきたり、ラストシーンでは『白鯨』を半分しか読めなかったと言いながら返すもエニングにあげると言われて返す笑顔もいい表情でした。

ナニングの寓話的な冒険

ラジオからヒトラーが自殺したとのニュースが流れ、母親ヒレがショックで破水します。子どもは無事生まれますが、母親は何も口にしなくなります。ナニングが何が食べたいと尋ねますと母親はバターとはちみつをたっぷり塗った白パンとつぶやきます。

材料は小麦粉に卵にバターにはちみつ、どれもそう簡単に手に入るものではありません。その日からそれらを求めて島じゅう、そして干潟を渡った隣の島へも奔走するナニングが描かれていきます。

これまで長々と書いてきましたがここからが本編です(笑)。

引用した海岸沿いの自転車の画像もそのひとつですが、引いた画の中のナニングを捉えたカットが多用されおり、それらがとても美しい画なんです。冒頭の広大な畑や海岸沿いの草原や砂浜を広角で捉えたショットはスケール感があり、その中にナニングを捉えた画にはその時のナニングの気持ちがこもっているように感じられます。

その意味では、この映画はナニングの冒険物語でもあります。

干潮時の干潟の画も美しいです。その時ナニングは隣の島に渡り、ヒトラーユーゲントの指導者から砂糖を手に入れるも潮が満ちてしまい、なんとか砂糖を守って渡り切りますが自転車を失ってしまいます。自転車は叔母のものです。その前に叔母から勝手に自転車に乗らないでと言われる前振りがありますのでどうなるかと思いましたら、叔母は怒ることなく無事のナニングを抱きしめて泣いていました。

小麦粉は薬屋さんで手に入れ、卵は鶏も卵を産まなくなり、あれはサギでしょうか、海辺の草むらで野鳥の卵を取っていました。大丈夫なんでしょうかね(笑)。また、はちみつはなにかの物々交換で手に入れていました。

前後の関連は忘れてしまいましたが、その他、ヘルマンと一緒にうさぎを捕まえて肉屋にさばいてみろと言われてやってみるシーンや、漁師にはアザラシ(トド?…)をおびき寄せるために砂浜で横たわって真似させられたりします。あれ、本当ですかね(笑)。

また、ラストシーンへの伏線となるシーンとして、東プロイセンの孤児たちにせっかく手に入れた食べ物(なんだったか忘れた…)を取られるシーンと、バターを手に入れて帰る途中に映画冒頭のシーンでアップになっていた少女とその兄に追われて海に逃げ、追っかけてきた兄も勢いで海に入るものの泳げずに溺れそうになります。兄を助けてと叫ぶ少女、ナニングは陸にあったボートのロープをナイフで切り、海に投げ入れて兄を助けます。

その時助けるためのロープを切っていた捕鯨ナイフ、これも所々に登場するキーとなるもので、叔父のテオがくれたものです。このテオの話はナニングの心に響くもののようで夢に見ます。テオがユダヤ人の女性と結婚しようとしていたところ、母親のヒレが密告(おそらく…)したために収容所へ送られ殺されたということがあってアメリカへ渡ったということです。下の画像が夢のシーンです。

変わりゆく時代の中のナニング

ヒトラーの自殺が1945年4月30日、そして5月7日、ドイツは無条件降伏します。

人々は半旗にしていたナチ党の鉤十字の旗を降ろし始めます。ナニングが干潟を渡りヒトラーユーゲントの指導者を訪ねますと、その指導者は拳銃で頭を撃ち抜き自殺しています。あわてて帰ろうとするナニングですが、ふとバターがあることに気づき、持って帰ります。その帰り道で孤児の兄妹との話があったんだと思います。

材料は揃いました。パン屋に白パンを焼いてもらい、バターを塗り、たっぷりのはちみつをかけ、ベッドに横たわる母親のもとに持っていきます。しかし母親はそんなことを言ったことも忘れたのか手を付けようとせずに台所に返してと言います。白パンを台所に戻したナニングは再び母親のもとに行き、母親にしがみつくように泣き崩れ、母親が引き離そうとしても泣き止みません。母親が白パンを持ってきてと言いますとナニングは泣き止み台所に向かいます。しかし、すでに白パンは弟のお腹の中です。弟に掴みかかり、何度も殴りつけるナニングです。母親が止めに入りやっとおさまります。

そして後日、母親のヒレはナニングたち子どもを連れて町に向かいます。人々がジャズを流して踊っています。ヒレは肉屋に入り、配給券を出し肉を求めます。しかしそれはもう使えないと言われます。ヒレはナニングたちに外に出ていてと言い、つけでお願いと懇願します。肉屋は受け付けず、仕事があると奥に入ってしまいます。ヒレはかけてあったソーセージを手に取り店を出ます。肉屋が追いかけてきます。出せという肉屋にヒレは頑なに拒みます。しかし引き下がらない肉屋です。ついにソーセージを返すヒレです。町の人々が見つめています。

おそらく数カ月後でしょう。ナニング一家が引っ越していきます。すでに書いたようにヘルマンが『白鯨』を返しに来ます。まだ半分しか読めていないというヘルマンにあげると言うナニング、次に戻ってきた時に返すというヘルマンにナニングは家を売ったと話します。

ナニングたちが乗る馬車からテッサの畑で働く孤児たちの姿が見えます。少女が追いかけてきます。少女は首にかけていたネックレスを、と言ってもただの紐ですが、首から外してナニングに渡します。少女は動き出した馬車を笑顔でじっと見送り、やがて手を振り始めます。ただ見つめているだけのナニングでしたが、次第に笑顔に変わっていきます。

感想:ファティ・アキン監督、久々のいい映画。

おそらくこの後ナニングは両親のことや自分がヒトラーユーゲントのメンバーであったことに気づき、それの意味することに覚醒し、そうした過去の自分自身を否定的に理解し、成長し、大人になっていくんだろうと思います。

これまでわりとドラマのある映画を撮ってきたファティ・アキン監督ですが、この映画は静かにナニングを見つめる視点で撮られており、まったくの想像で言えばハーク・ボームさんへの敬意がそうしたところに現れているのだと思います。

繰り返しになりますが、ファティ・アキン監督、「愛より強く」「そして、私たちは愛に帰る」以来のとてもいい映画でした。