卒業制作に身内の俳優でわいわいとつくる映画だと思うよ
武井佑吏監督という方の商業映画デビュー作ということです。どんな映画を撮る監督なんだろうと観てみました。2017年に自主制作の1本があるだけなのに、この映画では出演俳優が実力者揃いです。どういう経緯なんでしょうね。

卒業制作的な映画は身内の俳優で…
率直なところ、俳優の無駄遣い、内容と俳優があっていない、内容が卒業制作的な内容なので身内の俳優でつくるべき、その方がよくなる、という映画です。
素人(俳優としてプロじゃないという意味…)が熱演しているから面白いという映画が時にありますが、それをプロの俳優がやるととんでもなく陳腐になるという、そういうことです。
鴻池留衣さんという方の小説「本当にあった話(の話)」が原作とのことです。
舞台劇の上演までのプロセスが描かれていく話で、主演俳優(舞台劇では主演ではない…)が役に入り込み過ぎて(勘違いでかな?…)異常になっていくという話だと思います。実際にはその俳優の内面性がきちんと描かれていませんのでそうだとも言い切れませんが、それ以外にはどうこう言うようなものがありませんので多分それをやりたかったんでしょう。
この題材でなぜ夛田にフォーカスした?
演出家 加藤(佐々木蔵之介)が主宰する劇団の新作の制作が始まります。脚本は垣内(小池栄子)のもので、実際にあった連続殺人事件(映画の中の架空の事件…)が題材です。この事件は、ある女性が恋人がいるにも関わらず両親の意向で無理やり他の男と結婚させられたために夫を殺し、恋人を夫になりすまさせるが、その恋人をも殺し、また別の男に夫になりすまさせるという連続殺人事件です。
どういうこと?(笑)
とにかく、その女性を演じるのは米良(黒木華)です。この米良の設定がまったく不可解で、売れない俳優ということのようですがそう見せるシーンもありませんし、監督が演出プランなしでシーンごとに適当な指示を出しているんじゃないかと思います。黒木華さん、どうしていいのか戸惑っている感じでした。
この内容(舞台劇の話…)なら当然米良が主演なんですが、映画の主演は最初の夫役の夛田(水上恒司)であり、夛田は会社員のときにオーディションを受け、その後俳優一本に絞っています。夛田は結婚していた時に妻に浮気をされて離婚しています。その浮気というのが誰とでも寝るという設定で、妻は相手と寝るつもりはなかったけれでも寝てしまったという結果があるのできっと寝たかったんだろうと言い、結果が過去を上書きする(ちょっと違うけど…)と正当化していました。
シーン構成からしますとこの妻が夛田をおかしくさせていく原因としたかったのかも知れません。そう見えるようには描かれていませんけどね。
それにしてもこの題材でなぜ夛田にフォーカスしたんでしょう。垣内はこれはフェミニズムの話だって力んでいたんですけどね。いくらなんでもこの点で原作を改変することはないでしょうから原作のものなんでしょう。
終わりよくなければすべて…
演出家の加藤もかなり立っていました。このワンマン演出家を見せることも考えているのかも知れません。ただ、この加藤のキャラもパターン化されてかなり陳腐なんですけどね。それに描き方が中途半端です。
まわりの女性を食い物にしているという設定もあるのかも知れません。米良を自らの住まいに呼び、俳優に演技をつけるようにここで女は上着を脱ぐとか、一糸まとわぬ姿になるとか指示を出していました。
佐々木蔵之介さん、マジ(風…)にやっていましたけどカットがかかった後はきっと笑っているでしょう。とにかく何もかもが中途半端です。
そして夛田ですね。夛田は映画中盤あたりから実は劇中の女は夫、つまり夛田のことが好きになったに違いないと主張し始め、垣内にも同意するよう執拗に迫り、終盤になりますと米良にも同じように迫っていました。
そして本番の舞台、夛田は舞台上で米良を絞殺していました。それが現実なのか演技なのか明確にせずに終わっていましたのでそれも意図しているのかも知れません。
そうそう、その前に初日直前に加藤は夛田を降板させて自分が夫役を演じています。そしてマチネの後に夛田が加藤に薬を盛って眠らせてソワレでは夛田が舞台に上がり、米良を絞殺するという流れでした。
どうこう考えてもよくわからない展開ですが、本当は映画はよくわからなくても観るものを感動させたり、心の奥底にすとんと落ちる感覚を味わわせることができるものなんですけどね。それには相当な力と技術がいるということだと思います。
感想:シナリオがダメ、監督がダメ
書きすぎました、ごめんなさい。