ベタな余命ものラブストーリーだった…
余命ものラブストーリーの気配があり、ちょっと迷ったのですが、「ブルックリン」のジョン・クローリー監督ということでポチッとしてみました。それにしてもクローリー監督、9年ぶり? と思いましたら、2019年に日本では劇場未公開ですが「ザ・ゴールドフィンチ」という映画を撮っているんですね。

意味のないシャッフル編集するよりも…
まごうことなき余命ものラブストーリーでした(笑)。それも他に表現のしようのないくらいそのものずばりのです。
さらにと言いますか、なぜかと言いますか、時系列が意味もなくシャッフルされて編集されています。それもかなり激しくです。まあ、それだけつくる方もこれがありきたりの話だと感じているからでしょう。
そんな小細工をしないで、たとえば、かなり早い段階にアルムートが医師から卵巣がんを告知されるシーンがあり、その時アルムートはこの先半年を治療による苦しみに耐えるのではなく今しかやれないことをやっておきたいとトビアスに言うわけですが、なぜここにポイントを置いた映画にしないのかと不思議でなりません。
そのシーンで実際に余命宣告されたわけではありませんが、少なくともアルムートは死を覚悟して自分の思いを語っています。一方、アルムートを愛しているトビアスにしてみれば治療を受けて長生きしてほしいと思うのも当然です。
ここには自らの余命を知ったときに人はどう生きるべきか、そして周りの者はそれにどう対処するべきかという、人が生きる上で重要な問題が提示されています。
実際、アルムートはボキューズ・ドールという料理コンテストに出場することを選択するわけです。しかし映画は、それをトビアスに隠して出場させるという描き方にしており、アルムートが体の異変と戦いながらコンテストの準備をするというかなりベタな展開でドラマをつくっています。
あんなシャッフル編集でごまかさないで、アルムートの心の揺れとトビアスの苦悩で十分映画にできると思いますけどね。
初っ端から書き過ぎちゃいました(笑)。
基本的にはというように思いますが、映画自体は泣かせようというつくりではありませんので余命ものラブストーリーとわかって見るのであればそれなりに見られる映画だとは思います。
時間軸を正しく戻すと、多分こうでしょう‥
とにかく話はベタです。
トビアス(アンドリュー・ガーフィールド)はウィータビックス(日本にも輸入されているみたい…)で働いています。ワンシーンだけトビアスがカメラの前で商品の感想を答えるシーンがありましたが、あれは何だったんでしょう? よくわかりません。
ある日、トビアスは車に轢かれます。それまでの経緯もトビアスが離婚でイライラしているとかいろいろあるんですが、笑っちゃうほどラブコメ展開ですので省略です。運転していたのはアルムート(フローレンス・ピュー)です。もうこの時点でお互いに目がきらきらしています(笑)。
後日、トビアスはアルムートがオーナーシェフ(まだそうじゃないかも…)の店に招待され、その日そのままベッドインです。アルムートはバイセクシュアルの設定でしょうか、と言うよりも人を愛することに固定観念を持っていないという自由人ということだと思います。一方のトビアスは子どもを持ちたいという希望があり、一度別れを告げます。しかし、これも後日、ラブコメ的にトビアスの方から和解を申し出て一緒に暮らすようになります。
これ以後の流れはわかりにくいのですが、多分このあたりで卵巣がんであることがわかり、全摘出ではなく一部摘出した後の治療を選択したんだと思います。そして子づくりに励みます。セックスという意味ではなく、アルムートが妊娠検査薬を調べるカットが何カットか続きます。
え? アルムートの人生観はどこで変わったの? 結婚や子育てなんて端から頭になかったんじゃないのという、そこを描かなくてどうするのと思いますけどね。がんの告知で変化ということならそこを描かなきゃ、って、ラブコメにそんなことをいっても始まりません。
妊娠します。アルムートのお腹が大きいシーンもシャッフルされてあっちこっちに入っていました。とにかく、大晦日の日、産気づくも病院に間に合わなくガソリンスタンド併設のコンビニで店員たちに助けられながら娘を出産します。
娘が3歳か4歳くらいになっています。告知されてから数年経っているということになります。
最初に書いた余命宣告(的な…)シーンはこのあたりということでしょう。映画のかなり最初の方にアルムートが厨房でお腹を抱えたり吐いたりするシーンがありましたが、それもこのあたりのシーンだったようです。
で、この後アルムートはトビアスに内緒でボキューズ・ドールに出場することを決め、鼻血を流しながら特訓したり、助手のシェフにステージ3の卵巣がんだと告白するシーンがあるわけです。ということは、アルムートは余命宣告された後、治療よりも生きた証を残すことを選んだわけです。
ところで、トビアスと娘がアルムートの髪の毛をバリカンで刈って丸坊主にするシーンがありましたが、あれは抗癌剤治療で抜け毛が激しくなってきたということなんでしょうか、そのようには見えませんでしたがどういうことなんでしょう?
とにかく、ある日、アルムートは特訓のために娘を迎えに行く約束をすっかり忘れてしまいます。トビアスと言い争いになります。アルムートは娘に対してただ苦しんで死んでいくだけの母親でいたくない、シェフとして生きた証を娘に記憶してほしいと訴えます。トビアスは自分と娘よりもかと嘆きながらも同意します。
そしてボキューズ・ドール決勝の日、アルムートは最後までやり遂げ、客席にはそれを応援するトビアスと娘の姿があります。アルムートはその結果を待つことなく、トビアスと娘とともに会場を出てスケートリンクへ向かい、若い頃のフィギュアスケーターとしての勇姿を見せるのです。このスケート話はなくてもいいと思うけど。
そしてもうワンシーン、アルムートが亡くなった後のトビアスと娘のシーンがあって終わります。
フローレンス・ピューがもったいない…
余命ものラブストーリーではありますが、ドラマ展開はラブコメですね。
とにかくこうやって振り返ってみますとシャッフル編集がごまかしだということがわかります。モンタージュになっておらずごちゃごちゃさせているだけだということです。
アルムートの選択の葛藤やそれに対するトビアスの苦悩を真っ当に描けばよかったんだと思います。アルムートを演じたフローレンス・ピューさんの力強い演技がもったいないですね。
フローレンス・ピューさん、「ミッドサマー」も「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」も「ドント・ウォーリー・ダーリン」も「オッペンハイマー」も見ているのに初めて見た俳優のような印象でした。
よかったということです。あの髪の毛を切ったシーンって地毛でしょうか?
アルムートの選択を軸に描けばよかったのにと思う映画でした。