DAU. ナターシャ

ソ連全体主義再現プロジェクト

この映画を一般的な面白い面白くないという範疇で語ってもあまり意味がないかもしれません。なにせ「DAU」というのは壮大なプロジェクトであり、この映画は、13本の映画と6本のTVシリーズ(14本の映画と3本のTVシリーズかも)のうちの1本ということです。

また、プロジェクトの基本的なテーマが全体主義の再現ということであれば、あるいは「静かな全体主義(宇野重規氏)」が進行しているという今の日本を省みる上でも意味のある映画かもしれません。

DAU. ナターシャ

DAU. ナターシャ / 監督:イリヤ・フルジャノフスキー、エカテリーナ・エルテリ

とはいうものの、この「DAU. ナターシャ」を見る限りでは期待していいものかどうかかなり危うい感じではあります(涙)。ただ、他の13本の映画も見たいという意味でおすすめ映画に入れておきます。

DAUとはなにか?

もともとはロシアの映画監督イリヤ・フルジャノフスキーによって構想されたソ連の物理学者レフ・ランダウの伝記物語映画だったものが、しだいに変容し、最終的にはウクライナのハルキウという都市に12,000平方メートルにおよぶセットを組んで1938年から1968年までモスクワにあった研究所を再現し、そこで2008年から2011年の40ヶ月にわたって撮影が行われ、35mmフィルムにして700時間の撮影素材から13本の映画と6本のTVシリーズ(14本の映画と3本のTVシリーズ)が生み出されたというものです。

下の画像がそのセット(の外観)だそうです。

Victor Vizu, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

さらに特異なことは、当時の全体主義社会を再現するために、オーディションで選ばれた非俳優である「科学者、芸術家、音楽家、哲学者、宗教家、神秘主義者、料理人、掃除人、看護師、美容師、シークレットサービス(Wikipedia)」が、その当時の服装をして実際にその空間で2年間生活していたということです。

プロの俳優はレフ・ランダウ(DAU)の妻役の Radmila Schegolevaさんだけで、DAUも俳優ではなくギリシャの指揮者であるテオドール・クルレンツィスさんが演じているそうです。当然この2人は研究所のセット内に住み込み(笑)というわけではなく、他にその息子役の Nikolai Voronovさんと Anatoly Vasilievさんの計4人を除いた人たちが数十年前のソ連という空間の中で実際に生活していたということです。

ある程度の宣伝要素が入っているにしてもすごい発想です。ヨーロッパでは撮影当時からかなり話題になっていたそうです。

製作費は相当なもんじゃないかと思いますが興行的にはどうなんでしょう。映画としては、この「DAU. ナターシャ」と「DAU. Degeneratsiya」が昨年のベルリン映画祭で上映されていますが、興行的にはあまり売れていないようで、下のリンク先で7作品がオンライン公開されています。1作品3$となっています。

DAU. ナターシャは密室劇

というように、プロジェクトとしての「DAU」はかなりスケールを感じさせるものですが、意外にもこの「DAU. ナターシャ」は完全に室内劇です。

舞台となるのは、研究所に併設されたかなり狭い食堂と誰か(オーリャ?)の住まいに、そして研究所内の取調室(のような感じ)です。

登場人物も食堂で働くナターシャとオーリャ、そこに食事に来る研究者や職員たち数人とそのうちの主要な人物であるブリノフとフランス人の研究員リュック、そして研究所の所長(らしい)ウラジーミルだけです。DAUも登場しません。

上に引用したウィキペディアには、撮影は24時間休みなく続いたというニュアンスで書かれていますが、この「DAU.ナターシャ」にはそれを思わせるようなシーンはありません。もちろん隠しカメラではありませんので常にカメラが回っているという意味ではなく、昼夜関係なく、また撮影スケジュールに関係なくいつ撮影されるかわからない状態で撮影されたということであったにせよ、セットとはいえ狭い空間に見せているセットなわけですし、そこに35mmカメラが入るわけですからスタート!カット!の連続で撮影されていると思われます。

プロジェクト「DAU」に期待できるかどうか危ういと感じられるのは、

実に、オーディション人数延べ39万2千人。衣装4万着。欧州史上最大の1万2千平米のセット。主要キャスト400人、エキストラ1万人。撮影期間40ヶ月。35mmフィルム撮影のフッテージ700時間。莫大な費用と15年もの歳月をかけて本作を完成させた。

というプロジェクトをアピールするために、最初に持ってきた映画がこの「DAU.ナターシャ」かい? と思えてしまうという意味です。

ただ、少なくとももう1本くらいは見たいですね。

ネタバレあらすじとちょいツッコミ

見てから日にちが経っていますので正確な順序が曖昧です。

研究所併設の食堂です。研究員や警備員(軍人のようでもある)たちが食事にやってきます。ナターシャとオーリャが忙しく働いています。ワンプレートの魚料理のようなものが出されています。料理は奥でつくられているようです。

仕事が終わり、二人は食堂のものを食べたり飲んだりしながら喋っています。話は他愛のないことですが、互いに挑戦的な物言い(それが普通かも?)をしています。ナターシャがオーリャに片付けなさいと指示してもやらなかったりと、ときに取っ組み合いになったりします。下の動画をどうぞ。


DAU. Natasha new clip official from Berlin Film Festival 2020 – 1/3

研究所では、三角錐の物体に人が裸で入り何かを調べる研究が行われています。

研究員のブリノフとフランス人のリュックが成功だとか言っています。

成功祝いでしょうか、パーティーが行われています。オーリャの家のようですがよくわかりません。ん?ブリノフがオーリャの父? 後半にオーリャをバスタブに入れてブリノフが何かを咎めるシーンがありました。

まあどっちでもいいか(笑)。とにかくパーティーはどんちゃん騒ぎといいますか無茶苦茶です。下の動画をどうぞ。


DAU. Natasha new clip official from Berlin Film Festival 2020 – 2/3

その勢いでナターシャとフランス人のリュックがベッドインします。実際に性交しているという話です。

次の日か後日、ふたたび食堂、仕事終わりのナターシャとオーリャ、いつもとはちょっと違う様子です。話は相変わらず他愛のないこと(のよう)ですが、ナターシャがオーリャに執拗にウォッカを飲ませます。オーリャが吐きます。それでもまだ飲ませます。オーリャは怒って出ていってしまいます。ナターシャは荒れています。

シナリオなどあってないようなもののようですし、実際に酒も飲んでいるらしくもあり、細部にはほとんど映画的意味はないでしょう。これをリアリティがあると言えるかどうかはかなり微妙で、映画的リアリティとは人間が忘我状態で何かをすることではないのだろうと思います。パーティーのシーンも同様です。

ナターシャが拘束されます。それがどこなのかははっきりしませんが、公式サイトにはその尋問をする人物を「ウラジーミル・アジッポ : MGB / KG調査官、研究所所長役」となっていますので研究所自体がKGBの管理のもとにあり、研究所内にそうした施設があるということだと思います。

その所長であるウラジーミルがナターシャを取り調べます。容疑は外国人と性的関係を持ったということのようです。あるいはそのことからのスパイ容疑かも知れません。ただ、そんなことはどうでもよくウラジーミルの目的はナターシャをスパイにすることのようです。

この映画をこのプロジェクトの最初に持ってきているのはこの尋問のシーンのインパクトを計算しているからかも知れません。

所長を演じているウラジーミル・アジッポさんの経歴は、

1956年にハリコフで生まれる。ハリコフ大学で心理学の学位を取得。ソヴィエト連邦の刑務所と拘置所で働き始める。その後KGB大佐になり、ウクライナ内務省で20年以上働いた。投獄に関する専門知識、特に囚人と刑務所職員の行動心理学の専門として有名だった。

とあり、それが生かされているのか、演出なのかわかりませんが、人を落とすための尋問とはこういうものかというその一端(あくまでも一端だと思う)を感じさせます。

そして、ナターシャは書類にサインしスパイになります(多分)。

開放されたナターシャの後を犬を従えたKGB(かな?)の監視人がつけていきます。

これで終わっていたように思います。

全体主義のそのメカニズムを見たい

主要キャスト400人、エキストラ1万人が数十年前の全体主義下のソ連で2年間生活したそのこと自体を見たいですね。

この「DAU. ナターシャ」で見られるのは、これが全体主義下の生活の一部だとしても、それはあくまでも全体主義が生み出す結果であり、全体主義の本質ではありません。

この映画に描かれているものは何も2年間の時間を費やさなくても映画として描けます。

これだけの壮大なプロジェクトであれば、少なくとも全体主義とはどういうメカニズムで生まれるものかに迫るものでなくてはいけません。もうすでに悲惨な結果を描いたものなら優れた映画が数多くあります。

オンライン公開ではなく劇場公開されるものがあれば見たいとは思います。

赤い闇 スターリンの冷たい大地で(字幕版)

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  • 発売日: 2020/12/25
  • メディア: Prime Video