ゴースト・オブ・ウエノ

門脇麦さん、竹中直人さんを観るだけならいいかも

いつまで経っても一向に先が見えないこの映画、まさしくゴーストのようです。それにホームレスの現実を描いているようには思えず、つくり手の価値観をホームレスに反映させているだけかと思います。

ゴースト・オブ・ウエノ / 監督:ワン・チイ

オチで決めようとするのが間違い

いきなり否定的なことを書いてしまいましたが、門脇麦さんと竹中直人さんをうまく生かしているところは評価できますね。どちらもそのうまさがよく出ていました。

ソーシャルワーカーのサツキ(門脇麦)が上野公園で亡くなったゴージョーと呼ばれていたホームレスの過去を追う話です。それには理由があり、それが物語のオチになっています。たしかにそのオチがなければあれだけ執拗に追い続ける理由もなく、結果として、それが最初に書いた「いつまで経っても一向に先が見えない」ということになるのだと思います。

こういう傾向の映画をオチで決めようとすること自体が間違いです。もしサツキの行動がそのオチに根ざしているのであれば、それを明かして話をつくるべき映画かと思います。余計なことですね(ゴメン…)。

サツキがゴージョーのテントに向かいその経歴をたどるものはないかと日記などを持ち出すところから始まります。

これ、変ですね。この後何度もサツキはこの公園で弁当配布を行います。これまでゴージョーがそこに現れなかったということは考えにくく、この映画の設定ですとサツキはまったくゴージョーを知らず、今初めてゴージョーというホームレスが亡くなったと聞いたということになります。

まあいいか(笑)、とにかく、そこへ同じくホームレスのトシ(竹中直人)が現れ、おれ、ゴージョーのこと知ってるよと言いサツキの手伝いをすることになります。

観念ではなく現実を描かなくちゃダメ

ということで、日記からの情報やトシからの情報でゴージョーの過去を探ろうとするのですが、はて? 何が描かれていたのか、正直なところよく思い出せません。

結局、描かれていたのはサツキとトシの会話劇であり、それはそれで見応えはあったのですが、物語が展開しない以上、いくらその会話に面白みがあったとしても話は停滞したままですのですべてがぼんやりとしたまま最後のオチを迎えることになります。

サツキがゴージョーの過去を追い続けていたのは、サツキの父親もまた蒸発したまま行方知れずであり、もしやゴージョーがそうではないかと考えたということです。ただ、映画後半にサツキがゴージョーの生前の写真を見せてもらって違っていることがわかるシーンがあり、それならば最初から見ればいいんじゃないのというのはわたしだけの疑問なんでしょうか(涙…)。

さらに、そのオチの後にも、実はゴージョーの日記はシャチョーというホームレスが書いたものであり、そのことをトシも知っていたというチャンチャン的な終え方は、え? どういうセンス?! と目が点になってしまうくらいの驚きでした。

結局のところ、この映画は、多くの人がときに思うであろう、消えてなくなりたい、過去を消してしまいたい、人生をリセットしたいといったある種普遍的とも言える人間存在の矛盾をホームレスという存在に反映させているだけということです。