ドラマ、ドラマ、ドラマ過ぎます
映画.com で今週公開映画を見ていて、開戦前夜? ああ、そういう季節ですねとスルーしそうになったのですが、え? 石井裕也監督が戦争もの? と、それだけでポチッとしておいた映画、観てみたら Nスペ拡大版映画でした。その程度の意識で観ていますので大したことは書いていません。

研究所じゃなくて今の国会みたい
「総力戦研究所」実際にあったんですね、知りませんでした。ただ、ウィキペディアを読む限り、研究成果の一部を除いて映画は完全に創作ですね。
この映画のすべてが事実であれば誰も戦争なんてしていません。映画ではどうやったってアメリカには勝てないと皆が皆わかっているのに、新聞や世論や陸軍の若手に突き上げられて責任所在曖昧なまま戦争に突入していったと描いています。
多少今の日本の状況を意識しているのかも知れませんが、こういう描き方はあまりいいことじゃないですね。ましてや、東條英機でさえも戦争するつもりはなかったとまで描いています。
それに映画ですから仕方ない面もあるとは思いますが、研究所と言いながら最初から最後まで感情論ばかりでつまらないです。Nスペがベースになっているのであればもう少しデータに対する議論を入れてほしいですね。多少データを使ったシーンもありますがただ発表しているだけで、そのデータにしてもかなり大雑把に感じます。
思い返してみれば閣僚たちの議論がまったくなかったです。ある閣僚がデータを示して主張することに質問やツッコミを入れなければ研究にならないと思いますけど、それではドラマにならないと思うんでしょうかね。
自分と違う意見を言う閣僚がいますとすぐに怒鳴りあうみたいな映画でした。
板倉大道の人物像は演出ミス
原作または原案となっているのは猪瀬直樹さんのノンフィクション小説『昭和16年夏の敗戦』とのことです。
ノンフィクション小説ってなんやねんとは思いますが、多分残されている史実をベースに自在の人物名で会話やら行動を創作で書いているという意味かと思います。
映画では近衛文麿や東條英機など政府関係者は実名で、研究所関係者は架空の名前で描かれています。
ウィキペディアを読んでいてああそう言えばと思い出しました。プレミア上映会が中止になったという記事のタイトルを見た記憶が残っておりこの映画だったんですね。
映画で研究所の責任者となっている板倉大道(國村隼)のモデルとなっている実在の飯村穣陸軍中将の孫で元駐仏大使の飯村豊さんが祖父の人格を毀損しているとして損害賠償請求の訴訟を起こしているようです。
2025年12月24日、飯村豊は祖父を卑劣な人物に描かれ精神的苦痛を受けたとして、NHKや映画会社などに計550万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。(ウィキペディア)
たしかに映画の板倉はいわゆるドラマの悪役パターンで描かれ過ぎています。実際、映画を観ながらこの人一体何がしたいのなんて思っていました。研究所立ち上げの発案者はその部下となってはいましたが、開戦派のための資料作りならなにもこんな大層な研究所を立ち上げなくても官僚や軍人だけでできるわけですし、なにも自由闊達な意見を出し合えなんて言わなくてもいいわけですし、あの東條英機なら顔色をうかがう必要もありませんし、一体誰に対して忖度していたのかわかりません。
中間管理職みたいな描き方をしつつ、誰からの指示も受けず、誰にも忖度していない人物みたいになっていました。演出ミスですね。
結論を言えば、太平洋戦争に関わることは創作のドラマで描いてはいけないということです。
教育の場で事実を事実として教え、議論させ、それぞれに考えさせるべきことです。