左利きの少女

左利きの少女の話というよりも三世代の女性たちの映画だった

5歳の少女が左利きであることがキーになるのかと思っていましたら、それよりもむしろ台北で暮らす三世代の女性たちの生き方の違いが際立って感じられる映画でした。この映画はもともと2000年代の初めに企画が立ち上がったもののその後なかなか実現出来ずに今にいたったものらしく、その間およそ20年という時代の移り変わりがツォウ・シーチン監督に構想の変化をもたらしたのかもしれません。

左利きの少女 / 監督:ツォウ・シーチン

ネタバレあらすじ

ツォウ・シーチン監督はショーン・ベイカー監督の「タンジェリン」「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」「レッド・ロケット」にプロデューサーとして関わっており、逆にこの「左利きの少女」にはショーン・ベイカー監督がプロデューサー、編集、脚本として関わっています。

また、ショーン・ベイカー監督初期傑作選として上映された2004年の「テイクアウト」も二人の共同監督、共同脚本の映画です。下の引用はその映画が2009年の「インディペンデント・スピリット賞 (Independent Spirit Awards)」にノミネートされたときのインタビュー記事です。インタビュアーから「今後の予定は?」と尋ねられ、

I am working with Sean Baker on my second film “Left-Handed Girl”. The story is about a 5 year-old girl. Her family owns a small stand in a nightmarket in Taiwan. It’s a family drama that explores human duality and the struggle of being a woman in the male-dominant society.
現在、ショーン・ベイカーと共同で2作目の「左利きの少女」に取り掛かっています。5歳の少女の物語で、彼女の家族は台湾の夜市で屋台を営んでいます。人間の二面性や男性優位社会で生きる女性の奮闘を描いた家族ものです。
IndieWire 2009.2.19

ツォウ・シーチン監督は台北生まれですが、1998年ごろ(と思われる…)にニューヨークに移り住んでいますので活動基盤はアメリカにあるのだと思います。この映画の台湾人家族の価値観がかなり古く感じられるのはそのせいかも知れません。

三世代の女性たち

この映画は、母シューフェン(ジャネル・ツァイ)、20歳そこそこの娘イーアン(マー・シーユエン)、5歳の左利きの娘イージン(ニーナ・イエ)、そしてシューフェンの母シュエメイの4人の女性の話と見ていいと思います。それぞれに夫やパートナーの男たちは登場しますが、女性たちの生き方を変えるような重要な存在ではありません。

特に娘のイーアンがこの映画の軸となっている存在であり、他人の基準や固定観念にとらわれず自分の意志で人生を切り開いていける人物になっています。反抗的に見えるのは若さゆえということです。

母シューフェンは精神的には男性依存であり、それを類型的に言えば20年前の価値観で生きている人物といえます。、そしてイーアンからいえば祖母のシュエメイはタフではあっても家族あっての自分という、これも類型的に言えば40年前の価値観に迷いのない人物です。

この三世代の女性の生き方の映画ということです。

まったくの想像で言えば、当初の企画では、監督本人が祖父から左利きであることを「左手は悪魔の手だ」と叱責された過去の記憶(本人弁…)を軸にしたプロットだったものが、20年という時代の流れがイーアンという現代女性を生み出したんじゃないかと思います。

左利きの少女イージン

シューフェンがイーアンとイージンを連れて田舎から台北に戻ってきます。母は夜市で麺屋を開き、イーアンはビンロウ屋で働き始めます。

この映画、多くのシーンでジャンプカット的な編集がされていますので時間経過がはっきりしませんが、麺屋の家賃を3ヶ月ためているとありましたので数ヶ月程度の話だと思います。イーアンはすでにビンロウ屋にすっかり馴染んでおり店主と関係を持っています。

シューフェンのもとに元夫(イーアンの父親…)が倒れて余命幾ばくもないと連絡が入ります。元夫は工場がうまくいかなくなり10年前に蒸発(というようなことを言っていた…)しています。それでもシューフェンは医療費を払い、その後亡くなった際には葬儀まで出します。イーアンは父親を憎んでいる上に、そうしたシューフェンの行為に怒っています。

シューフェンは娘たちを連れて両親を訪ねます。食事の際にシューフェンの父親が左利きのイージンを見て「左手は悪魔の手だ」「使ってはいけない」と言い出します。やっとキーワードが出たかと思ったんですが、なぜかシューフェンの母親のシュエメイがすぐに何を古臭いことを言っているのと打ち消してしまいます。まあこれも20年という時代の流れで、さすがに今じゃこんなことを言う人も少なくなっているという判断なんだろうと思います。

とは言っても、イージンの心には残ったようで、その後イージンは左手を使って夜市のいくつかの店から黙って商品を持って来てしまいます。

映画はなぜイージンが万引きをするようになったかを説明しておらず、大人の感覚ではよくわかりません。左手なら悪いことをしてもいいと思ったとか、あるいは悪いことを出来るか試したとか、ひょっとしてお金にして母親を助けようとしたとか、でも仕舞い込んでいたからそれはないか、あるいは後に祖母の封筒を隠すための伏線とか、とにかく、後にこのことを知ったイーアンがイージンを連れて一軒ずつまわって本人に謝らせていました。

この謝罪シーン、最後にイーアンとイージンの関係を知ってから思い返しますとまた違った感慨が湧いてきます。

母シューフェンと祖母シュエメイ

元夫のためにお金を使ったシューフェンは店の家賃を払えなくなり、母シュエメイを頼ることになります。

ここで一家の家族構成が明らかになります。シューフェンは長女で妹2人に弟が1人います。弟は上海で事業を起こしており、母親シェイメイの自慢の息子のようです。シュエメイは住んでいる家もすでに息子に譲ったと言い、娘のひとりが3人で分けると言ったのにと怒っていました。3人にはシューフェンは入っていないのでしょう。シュエメイはシューフェンに貸したお金も返さない、散々迷惑をかけられていると言い、助けてほしいと言っても耳を貸そうとしません。

その母親シュエメイ、かなり唐突に感じるのですが、実は不法移民(アメリカへの?…)の手助けをしてその報酬を得ているのです。そして事件が起きます。ある日、移民局の係員がやってきて家宅捜索だと言います。その時シュエメイは偽造パスポート(だと思う…)を隠し持っており、万事休すと頭を抱えます。しかし、なぜか偽造パスポートは封筒ごとなくなっているのです。

実はその封筒はイージンが左手で持ち出し質屋に持っていっているのです。母親シューフェンのためにお金にしようとしたわけですが、質屋はシュエメイに連絡し、偽造パスポートはもとに戻ることになります。シュエメイはイージンのおかげで助かったと言い、それまで頑なに貸さないと言っていたお金をシューフェンに貸すことにします。

結局シューフェンは自ら判断しなくてもどうにかなっていく人物ということでしょう。男関係もそのひとつで、実はシューフェンは以前から麺屋の隣のなんでも屋の男ジョニーからお金を貸そうかと言われているのです。ジョニーはいい人キャラで、イージンにもやさしく、援助の件はシューフェンに気があることからの行為ということです。シューフェンは援助自体は断ってはいますが、一緒に飲まないかと誘い、その後付き合うようになったようです。

最後にはジョニーも晴れて三世代家族の一員と認められ、祖母の還暦祝いの席に呼ばれることになります。

イーアンの告白

イーアンのことも明らかにされます。

街中で今は大学生となっている高校時代の同級生と会い、成績優秀で人気もある生徒だったのに今どうしてるのと尋ねられ、イーアンは何のこだわりもなく即座に家にお金がなかったからと答えています。これもイーアンの人物造形のひとつでしょう。

イーアンは自分が妊娠していること知ります。そしてある日、ビンロウ屋の店主の妻が店に駆け込んできて夫と寝ているだろうとイーアンを罵り始めます。イーアンは店主に離婚したと言ったよねと睨みつけ、ここにはあんたの子どもがいるんだよと吐き捨てて去っていきます。

映画はその後のイーアンを追うことはせず、トイレで苦しむシーンのみで流産(ここではやや曖昧だが…)したことを見せています。

ということがあり、シュエメイのパスポート騒ぎやイージンの万引き謝罪まわりなどがあり、ラスト前シーンとなり、シュエメイの還暦祝いです。シュエメイ夫婦にシューフェンなど子どもやイーアンなど孫たちだけではなく、誰だかわからない人たちが数テーブルを囲んでいます。ジョニーもシューフェンのパートナーと紹介されてうれしそうです。

びっくりするような盛大なパーティーなんですが、そこにビンロウ屋の店主と妻が飛び込んできます。何が起きるのかと思いましたら、妻がイーアンに向かってそのお腹の子が男の子なら自分がもらうと言い出すのです。

さすがにこの価値観も今はないのじゃないかと思いますが、とにかくビンロウ屋夫婦はその場を追い出され、店主の方はイーアンに渡してくれてとお金を置いていきます。

大騒ぎの後のしらっとした空気のなか、イーアンは何杯もお酒をあおり始めます。シューフェンは何かを察したのか頭を抱えています。イーアンがイージンを連れてステージに上がりマイクを持ちます。イーアンは、おばあちゃんおめでとう、孫とそしてひ孫からお祝いの言葉ですと話し始めます。皆、ひ孫が誰のことかわからないようです。イーアンが続けます。イージンは私が産んだ子であり、母親(シューフェン)はそれを隠すために自分の子どもだと嘘をついてきたと告白するのです。

そしてしばらく経っていると思われる後日、イーアンが手伝いをしようと麺屋にやってきます。隣のなんでも屋のジョニーも笑顔で迎え、麺屋はシューフェン、イーアン、そしてイージンの三世代家族の店となっています。

感想:この映画はイーアンのマー・シーユエンさんでもっている

イーアンを演じているマー・シーユエンさんあっての映画になっています。演技経験はあまりないとのことですので計算されたことではなく結果としてのことかと思います。

やはり映画は俳優の存在感で大きく変わるということで、それゆえに左利き映画が三世代の女性の映画に変わったということです。もともとの男性優位社会を描くという構想をはるかに越えて、男性の影さえない女性たちの力強い生き様の映画になっています。

撮影手法は「タンジェリン」と同じように iPhone で撮られているということです。iPhone と言っても 4K 対応ですし Filmic Pro を使っているとのことですので、今やプロ用機器と変わらないのかも知れません。Apple から4台提供してもらったそうです。

すべてロケ制作でありながら、夜市のシーンでコントロールできた区域は麺屋と隣のなんでも屋だけとか、ですので実際の夜市の風景が映り込んでいるということです。地面を這うようなアングルでイージンを追いかけるシーンは子ども目線ということもあるのでしょうが、できるだけ映り込みを避けるということもあるのでしょう。

色彩調整も「タンジェリン」に近いものがあり、ショーン・ベイカー監督の影響があるのか、あるいはショーン・ベイカー監督の特徴がツォウ・シーチン監督との共同作業の結果なのかは今後を見てみないとわかりません。