是枝監督には「海街diary」や「海よりもまだ深く」といったシンプルな家族ものがあうと思うけど…
是枝裕和監督のオリジナル脚本による「箱の中の羊」です。オリジナル脚本なのに原案にまで是枝監督の名がクレジットされているということは、新作の企画会議に是枝監督から基本プロットの提案があり、企画会議で物語が練られ、それを是枝監督が脚本にしたということなんでしょうか。適当に想像しただけの話ですが、もしそうなら是枝監督としては結果として不本意かもしれませんね。

ネタバレあらすじ
2年前に事故(はっきりしていない…)で息子を失くした夫婦が姿かたちそっくりのヒューマノイドを息子として迎え入れる話です。
近未来の話ということにはなりますが、このところの生成 AI や中国の人型ロボットの話題などから考えればさほど遠い未来ではなく実現しそうな話です。でもまあこの映画のような選択をする人はいないと思いますけどね。
古くからある人(ひと)対ロボット(AI)の物語には、AI は意識(心)を持ち得るかという哲学的アプローチをベースにして、そこから差別、抵抗、闘争、共存、和解といった人間社会を反映させた描き方をするものが多くあります。
この「箱の中の羊」はそうした視点のものとはちょっと違っていて、子どもを失った喪失感をヒューマノイドで埋めようとする話です。その点では平野啓一郎さんの小説を映画化した石井裕也監督の「本心」にコンセプトは近いように思います。
ただ、それで喪失感が埋まるなんて脳天気な映画をギャグでもない限り撮る人はいませんのでこの映画も最後には無理だねで終えています。ただ、その無理だねがちょっとばかり意表をついていて、ヒューマノイドの方から無理だねと言い出し、そしてかなりどころか、びっくりするような飛躍した終わり方をしています。
あのエンディングを良い方にとればヒューマノイドと自然の共存ですかね。
自然とヒューマノイドの共存?
音々(綾瀬はるか)は建築デザイナーです。居住空間に自然(と言っても人工的なもの…)を取り入れた注文住宅のデザインが主のようです。家で模型を作るシーンが多くあります。夫の健介は工務店を経営しています。天然木の競りや大工さんが鉋で自然木を削るシーンを入れていますので木の家専門工務店の設定だと思います。
夫婦の住まいもそれらしい(説明できない(笑)…)造りで空間という言葉をイメージさせる立体的なつくりの家です。各所に木が使われ、中庭には数本の木が植えられています。
このロケーションがなんとも中途半端に感じます。映画全体のトーンとしていわゆる、あくまでもいわゆるなんですが、そのいわゆる自然が相当意識されています。ただ、なんとも中途半端なんです。郊外のちょっと洒落た戸建てにしか見えないんです。
「アフター・ヤン」という映画を思い出しました。
この「アフター・ヤン」にもヒューマノイドが登場するんですが、内容としては全く逆で動かなくなったヒューマノイドの記憶をたどるという話で、なぜ思い出したかと言いますと、この映画は緑溢れる森の中の木の家といったロケーションで撮られているのです。
こうした近未来の話というのはロケーションが重要なんですよね。未来的テクノロジーでいくか、逆に自然であったり、クラシカルなものであったりの逆説的近未来でいくかということです。その点ではこの映画は無茶苦茶日常ですので中途半端ということになります。
話がそれましたが、是枝監督の中にはヒューマノイド(AI)を人間の脅威としてではなく共存できるものとして、今のところ不可能と言われている(わけでもないが…)記号接地の問題をヒューマノイドが持ち得ないものへの希求として自然というものを持ってきているのかもしれません。ヒューマノイドである翔(息子の名…)に木々への執着のようなものがあるような描き方をしているのはそういうことじゃないかと思います。
子どもたちを森に放置?
良いように取ればそういう映画かと思いますが、如何せん何もかもが浅すぎます。
音々にしても健介にしても2年前に失くした息子と姿かたちがそっくりなヒューマノイドがやってきてすんなり受け入れていくのはさすがにどうよと思います。もっと葛藤とか描かないとダメだと思いますけどね。ふたりとも大した葛藤もなく、そのうち早い話鬱陶しくなったようにしか見えない展開でもう返そうかなんて言い出します。
そのころ翔の方はヒューマノイドの仲間の子どもたちと連絡をとって自分たちの国を作ろうとします。森の中のツリーハウスみたいな模型を作っていました。
で、映画終盤、翔の方からもう行くねと言い、音々と健介はそうだねと受け入れ、健介の工務店の車に子どもたちを乗せて音々の故郷の広島の森の中に子どもたちを放置してきます。
わざわざ放置と書いたのは、その子どもたちの中には人間の子どももいて、その子たちは虐待されている描き方になっているからです。
どういうつもりなのかさっぱりわかりません。ファンタジーだからいいとでも言うんでしょうか。
感想、考察:哲学的考察なき近未来ものはつまらない
という酷い映画ではあります。こういうテーマの映画にはベースに哲学的な考察がないとダメですね。
是枝監督は現実描写、それがファンタジーであっても、今生きている我々と近い感覚の人間関係を描くのがうまい監督ですのでこの映画はかなり無理をしていると思います。
なぜそうなったのかわかりませんが、結果として是枝監督自身が不本意と感じているだろうというのはそういうことです。
粗も目立つ映画です。翔の事故にしても思わせぶりの事件を持ち出したり、子どもの誘拐事件はラストへの振りなのか唐突すぎますし、ヒューマノイドが GPS を取り出して自由に移動することに気づかない設定も適当すぎますし、ヒューマノイドの修理シーンも陳腐ですし、ワンカットあった傷は何? と思いますし、浜辺で倒れた少女は虐待されているということだと思いますがずっと倒れていたんですかねとか、あの水車で電源確保は突っ込みどころではないにしてもファンタジー過ぎます。