時には懺悔を

原作者打海文三さんの実体験が反映されていると知れば何も言えなくなる

ミステリーものかと思って観たのですがむしろヒューマンものと言ったほうがいい、障害児とともに生きることがテーマの映画でした。いい人しか出てこないなあと頭に浮かんだ言葉も、原作者の打海文三さん自身が障害児を育てられたと知りますとなるほどと腑に落ちる映画です。

時には懺悔を / 監督:中島哲也

ネタバレあらすじ

目眩ましのような映像音声処理で始まり…

探偵たちがまるで警察のように殺人事件を捜査(じゃなくて調査…)していく映画です。

探偵の米本(佐藤二朗)が何者かに殺害されます。探偵仲間の佐竹(西島秀俊)が探偵アカデミーの主宰者寺西(役所広司)に依頼され犯人を探すことになります。佐竹にはアカデミーの生徒中野(満島ひかり)が相棒としてつきます。バディものが意識されているのだと思います。

他にも探偵の船尾(片岡鶴太郎)ともうひとりアカデミーの生徒も登場し、まるで警察の捜査会議のようなシーンが2、3シーンあります。寺西をトップにして皆が机を囲んで調査報告をしていました。

ですので、一匹狼の探偵がといった話ではなく、映画のつくりはほぼ刑事もののような映画です。当然警察も事件を追っているわけですがまったく絡んできません。最後に元刑事の花村(塚本晋也)が登場するくらいです。

探偵ものか刑事ものかわからないような展開です。

映画のつくりは、かなり暗めの超アップの短いカットを目まぐるしくつなぎ、さらに時間軸を頻繁に現在、過去と移動させますのでちょっと面食らいます。それに台詞も観る者を混乱させようとしているのか結構切り貼りしてありました。

でも大丈夫です(笑)。あざとくはありますが(ゴメン…)よくある目眩ましですので、ぼんやり観ていても中盤になりますと話はわかるようになっています。

なぜなら米本殺しは本筋ではないからです。

犯人は誰かとミステリーふうに進み…

1994年の物語です。

殺された米本(佐藤二朗)は探偵仲間からも「死んだほうがマシな人間」と言われている人物です。あくどい稼ぎ方をしていたということのようですが具体的には何も語られません。その米本の最後の依頼を佐竹(西島秀俊)と中野(満島ひかり)が追っていく話で、前半では米本を殺した犯人は誰かという視点で進みますが、後半になりますと皆が皆、別の誘拐事件の犯人(米本の殺害犯でない…)が育てている障害児に感情移入して、犯人を自首させた後、障害児をどうすればいいかということにポイントが移っていきます。

佐竹と中野は米本の最後の依頼を調査するうちに次のことを突き止めます。

米本が受けた最後の依頼は尋津(黒木華)からのもので、テレビに街の情景として写った障害児を探してほしいというもので、米本は明野(宮藤官九郎)がひとりで育てていることを突き止め、それを尋津に知らせ、明野に会わせてもいます。

佐竹と中野は米本を殺したのは尋津と明野ではないかと盗聴器を仕掛けて動向を探ります。

そして、9年前の誘拐事件が明らかになります。

障害児と共に生きるヒューマンふうになり…

9年前、尋津(黒木華)に二分脊椎症と水頭症という重度の障害を持つ子ども新(後の名前だがここではこれで統一…)が生まれます。尋津は思い悩みます。ある日、病院で母乳が漏れてきたため新を廊下に置いたままトイレへ行きます。その隙に新が連れ去られます。

映画ではあまりこだわってはいませんでしたが、一緒に連れていけばいいわけですので尋津の内心を表現しているのかも知れません。また、尋津は戻ってきた時に新を連れ去る男を見ています。追うこともしませんし、警察に届けたのも随分時間が経ってからのようです。

その後尋津は離婚し、現在は再婚して再婚相手の子ども2人とともに暮らしています。

新を連れ去ったのは明野(宮藤官九郎)です。子どもが生まれないからとたまたま病院の廊下に置き去りにされていた新を連れ去ります。明野はがさつな男の設定です。新に障害があることを知りますと途端にぞんざいになります。しかし妻は新に愛情を注ぎ、子育て日記に日々の苦労や工夫を書き綴っていきます。ところが妻は交通事故で亡くなってしまいます。明野はがさつではあっても情が厚い人物のようで、妻亡き後、次第に新を育てることに生きがいを感じるようになっていきます。

そして9年が過ぎ、明野にとって新の存在は特別なことではなく、いて当たり前の日常です。

中野は明野のその日常を盗聴するうちに新に感情移入していき、食べた、笑った、おならをした、歌ったと、新の存在に心を揺り動かされていきます。実は中野は元夫への傷害罪で服役したことがあり、夫の DV が理由であったとはいえ、それがために娘の親権を失っています。さらに娘本人からも避けられる状態が続いています。そうしたことが新への思いになっているようです。

さらに佐竹もその上を行く業を背負っています。妻(柴咲コウ)との間に障害を持つ子が生まれ、しかし佐竹はそれを受け入れることができず、すべて妻に任せっきりで、その子が亡くなるその日まで一度も子どもに触れたことがないのです。妻は次第に心を病み、今は精神科病院に入院しています。

佐竹は映画初っ端から酒をあおるシーンが頻繁に挿入されるというアルコール依存症です。ただ演じているのが西島秀俊さんですので、ぶっ倒れるシーンはあっても、そしてしかめっ面をしていても、いつもいたって普通です(涙)。

同じような意味で中野を演じている満島ひかりさん、食べまくっていましたけど大丈夫でしょうか。あの食べっぷりは演出ですがどういう意図なんでしょう(笑)。

そして、主役は新になる

といった展開で終盤に入り、映画の主役は新になります。

明野が新を連れて病院へ行けば同じような障害児の親子も看護師たちも新に親しげに語りかけています。明野も父親然と充実した素振りを見せています。

一方、すっかり新に感情移入した中野は尋津に会い、明野の妻とその後明野が書き足した育児日記を読ませ、明野が自首した後に新を引き取るよう説得し始めます。佐竹も自分の過去がよみがえり悶々としています。ひとり明野だけは自首するつもりではあっても相変わらず新と変わらなぬ日々です。

映画自体も、私もすっかり忘れていた米本です。「死んだほうがマシな人間」と言われてきた米本ですが、明野と新を見たことからなぜか(ホント、なぜか意味不明…)尋津をゆするどころか、引き取るよう説得し始めていたということが明らかにされます。施設のパンフレットを渡してこういうところもあるよと教えていました。

唐突に米本殺しの犯人が明らかにされます。息子でした。まったくその事情は説明されていませんが、息子は米本を憎んでいたということのようです。さらに、息子に刺されたその状態で、息子に返り血を浴びた服を着替えろだの、すぐに家に帰り風呂に入れだのと指示し、凶器やコップについた息子の指紋を消していました。そして静かに死んでいきました。

ラスト、それはそれでいいとは思いますが特に盛り上げもなく、中野のナレーションでその後が説明されて終わっていました(だったと思う…)。

尋津は新を引き取り、11歳(くらいだった…)で亡くなるまで育て、明野は一年何ヶ月だったか服役した後に行方知れずになったということです。

佐竹は相変わらずアルコールに頼る日々、中野にもこれといった言及はなかったと思います。

感想、考察:原作者の実体験と知れば何も言えなくなる

原作者の打海文三さんの実体験が元になっていると知りますともう何もいえなくなる映画です。

登場人物すべてがいい人ばかり、米本さえもが障害児である新に逆に心を洗われていくという展開は実体験者でなければ生まれない発想だと思います。

ただ一人、佐竹だけは乗り越えられない何かを感じているような描き方になっています。まったくの想像で言えば、打海文三さんの葛藤の現れじゃないかと思います。もちろん映画が原作者の意図を間違いなく描ききっているとすればの話です。

「時には懺悔を」でしょうか。

映画のつくりはあまりよろしくありません。小手先のあざとい演出ではなく、佐竹と明野を一人の人物の両面のように描くとか、バディものとするなら佐竹と中野をもっと噛み合わせるとか、映像音声処理ではない人物への演出を深めるべきだと思います。

余計なことでした。

原作、読んでみようかな。