セドリック・クラピッシュ監督らしい感傷的でありながら楽しく観られる、ちょっと珍しい歴史もの
「モモと時間泥棒」かと思いました(笑)。印象派の画家モネの時代と現代が交錯する物語で、セドリック・クラピッシュ監督らしいアイ・ラブ・Paris(フランスかな…)な映画です。テーマはシンプルですし、映画のつくりも軽やかでユーモアがあり楽しく見られます。

ネタバレあらすじ
この映画のテーマははっきりしています。過去を振り返ることで現在を見直すことが大切ということです。
2025年の現代です。30人ほどの男女が集められ、公証人からあなたたちは1873年生まれのアデル・ムニエの子孫であり、1944年から放置されているノルマンディーの土地の相続人であると告げられます。さらに公証人は、この土地に再開発の話があり、残された家に入るためにはあなたたち相続人の立ち会いが必要であると続けます。
代表として選ばれた4人がその家を訪ねてみますと、部屋の壁には二人の女性の肖像写真や印象派を思わせる筆跡の絵画が掛けられています。
という発端があり、この後、この相続人4人の現代と打ち捨てられた家の持ち主であるアデルが生きた19世紀後半とが交錯して描かれていきます。基本的にはアデルの過去が明かされていくことが主であり、それを知った現代の4人それぞれに変化が訪れるということになります。
ミステリーではありませんので4人が探偵のように行動するわけではなく、アデルはこういう人だったよ、こういう人生を生きたんだよと映画が勝手に教えてくれます。その構成がとてもうまいクラピッシュ監督です。当然ながら時代考証的なものは一定程度守られているにしても物語はすべて創作です。
アデル、母を求めてパリへ
1894年のノルマンディーの農村です。21歳のアデル(スザンヌ・ランドン)が住み慣れた家を後にしてパリに向かいます。育ててくれた祖母が亡くなり、パリにいるという母を探しに行くのです。幼なじみ以上恋人未満(多分…)のガスパールが追い掛けてきます。手紙を書くからというアデルに文字を書けないだろと返すガスパール、代筆を頼むと答えるアデルです。
ノルマンディーからパリへは船でセーヌ川を上ります。アデルは同船となった二人の青年と出会います。画家志望のアナトール(ポール・キルシュ)と写真家志望のルシアン(ヴァシリ・シュネデール)です。二人はモンマルトルのカフェに下宿すると言っています。
パリに着いたアデルは、まず毎月一定額を仕送りしてくる公証人を訪ねます。公証人は仕送りが母親からのものであることと母親の居場所を教えてくれます。しかしその場所を訪ねてみますとそこは娼館であり、母親は娼婦なんです。アデルは母親オデットと対面するもたまらなくなったのでしょう、その場を逃げ出します。行くあてのないアデル、船で出会った青年たちの下宿先、モンマルトルへ向かいます。
そしてアデルの束の間のパリ生活が始まります。ときは芸術や文化が花開いたベル・エポックと呼ばれる時代の始まる頃です。モンマルトルには多くの画家など芸術家たちが集い、アデルもアナトールやルシアンとともに自由な時代を謳歌します。
アデルと母オデット
映画は現代パートを交えながら進みますが、まずアデルの話を進めますと、初対面ではその場を逃げ出したアデルですが、その後も母親の元を訪ね次第に母娘の情を厚くしていきます。
このあたりの進め方はクラピッシュ監督のうまさかと思いますが、後々思い返しますとかなり曖昧なのに観ている時はすとんと落ちてきます。アデルは画家志望のアナトールと写真家志望のルシアンとひとつ部屋に同居するわけですが、そのどちらかに恋心が芽生えるのはあり得ることで、その関係がアデルの出生の秘密に関わる母親オデットの人間関係に重ね合わされているのです。
アデルはアナトールに好意を持っており、アナトールもまた同じ気持ちです。アナトールがアデルに絵のモデルになって欲しいと言い、それはヌードモデルなんですがアデルは読み書きを教えてくれればと引き受けます。ルシアンは写真家志望であり、いずれ絵画はなくなるとうそぶいています。船上ではアナトールとともにどちらがアデルの心を射止めるかといった描き方でしたが、このあたりになりますと写真に興味を示す2人の女性と戯れるシーンを入れて役割を明確にしています。
このアデルに対する画家と写真家の関係が母オデットにも使われています。
アデル、出生の秘密
オデットの人生はかなり曖昧です。創作ですからそう詰めることもないのですが、ただモネや写真家フェリックス・ナダールという実在の人物については残された記録との辻褄は合わせてあります。
アデルは1873年生まれで、モネとオデットの子どもであることが終盤にある現代の5人がトリップしたシーンの中で明かされます(後述…)。『印象・日の出』はノルマンディーのル・アーブルの港が描かれており、1872作と考えられています。
ですので、モネとオデットは1872年頃にノルマンディーで出会い愛し合ったということになります。モネは生まれる子どもが自分の子であることの証にキャンバス地に『印象・日の出』と同じ太陽の水光(海に映ったきらきら…)を描いてオデットに渡しています。
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Claude Monet, Public domain, via Wikimedia Commons
オデットはアデルに、自分と母親との折り合いが悪くアデルを置いてパリに出たと語っています。映画の構成上その段階では誰が父ともバラせませんので詳しくは語っていませんが、モネの後を追ってパリに出たと考えれば辻褄が合います。
そしてパリです。後に「第1回印象派展」と呼ばれるようになるモネたち印象派の展覧会が開催されたのは1874年の4月です。『印象・日の出』が出展されており、展覧会の会場はナダールのアトリエです。
アデルの父親はナダールかもとの展開もありましたが、これはおそらく当時の絵画と写真の関係を映画の背景として使うためのものと思われ、モネとナダールに重ね合わせるようにアナトールとルシアンを登場させているんだと思います。
当時のパリで絵画と写真はどういう関係にあったかを Gemini に聞いてみました。
写真が絵画を「写実」の呪縛から解放した
1839年にフランスで写真術(ダゲレオタイプ)が公表されて以降、写真は急速に普及しました。これにより、それまで絵画が担っていた「目に見える現実をそのまま記録する(写実)」という最大の役割がカメラに奪われることになります。しかし、この危機は結果として、画家たちは細部を写実的に描く伝統的な呪縛から解放され、自身の目や心が捉えた「主観的な世界」を表現する自由を手に入れたのです。これが印象派、ひいては「現代アート」へとつながる潮流の引き金となりました。(Gemini)
ルシアンが絵画は消えてなくなると言いつつもアナトールへの協力を惜しまなかったり、共に友情を育んでいく姿にモネとナダールの関係を重ね合わせているのだと思います。ナダールは1899年にモネの肖像写真を撮っています。
Nadar, Public domain, via Wikimedia Commons
残された写真と絵画の秘密
アデルはナダールを訪ねます。なぜそういう展開になったかはっきりした記憶はないのですが、オデットがナダールのことに触れたからだったかも知れません。実際、ノルマンディーの家に残されていた写真の1枚はオデットの肖像写真です。
アデルはナダールが父親かも知れないと考えて会うのですがピッピッとくるものはなかったと言い、それでもナダールの求めに応じて肖像写真を撮っています。それがもう一枚の写真です。
そしてモネです。その頃のモネは1893年頃にノルマンディーのジヴェルニーに土地を買い、セーヌ川の支流から水を引いて池のある「水の庭」を造り、1895年頃から『睡蓮』の連作を描き始めています。
モネの庭園のストリートビューです。左にぐるっと回しますと緑色の太鼓橋(いわゆる日本の太鼓橋ではない…)が見えます。
アデルはジヴェルニーのモネを訪ねます。部屋の壁に浮世絵が掛けられていたり、睡蓮の池のカットもありました。アデルは水光の描かれたキャンバス地を見せます。モネはいつか会えると思った(みたいな台詞…)と言い、アデルに真っ白なドレスを着せて緑の庭に座らせ、その姿を素早い筆さばきでキャンバスに写し取っていきます。それがアデルの家の壁に掛けられていた絵画です。
そして、アデルはノルマンディーに帰っていきます。
その前にはアデルとアナトールが一夜をともにするシーンもあり、なにせルシアンとも同室ですのでルシアンは写真に興味を示していた女性2人とひとつベッドに入っていました。フランス映画らしいシーンではあります(笑)。ノルマンディーに戻ったアデルは待ち焦がれていたガスパールと抱き合いキスしています。書いていませんがアデルとガスパールが代筆で手紙を交わすシーンもちゃんと入っています。
現代の4人、それぞれの変化
現代の4人は映像クリエイターのセブ(アブラム・ヴァプレ)、養蜂家のギィ(ヴァンサン・マケーニュ)、エンジニアのセリーヌ(ジュリア・ピアトン)、そして教師のアブデル(ジヌディーヌ・スアレム)です。
4人のうち、アデルの時代への実際の関わりとしてアブデルの教え子のキュレーター カリクスト(セシル・ドゥ・フランス)が登場します。件の白いドレスの絵画の鑑定を依頼し、その結果モネの作品であることがわかります。この絵画については相続人のウェブ会議が行われ、4人が国に寄付しようと提案するも反対意見も出てそのまま終わっていたと思います。
セドリック・クラピッシュ監督はサービス精神旺盛ですのでその他いろんな脇ネタが入っています。
「印象派」という言葉は第1回印象派展に出展されたモネの『印象・日の出』を当時の批評家ルイ・ルロワが酷評したことがきっかけになったと言われているわけですが、クラピッシュ監督は、なんと幻覚作用のあるアヤワスカを使って5人を1874年に送り込み、ルイ・ルロワに対してカリクストに殴りかからせるという奥の手(?)まで使っています。また、その場にアデルを抱き水光の描かれたキャンバス地を持ったオデットまで登場させ、それをセブが見つめるシーンを入れています。
アブデルの定年退職シーンが過剰ともいえる大勢の生徒たちの拍手で送られたり、そのアブデルはカリクストと恋愛関係になりそうだとか、セリーヌが恋人から別れを告げられて落ち込んでいるのをギィが慰め、ラストシーンではその後付き合うことになるかも知れないところを見せたりします。
主役的な扱いになっているセブは祖父と暮らしており、あるいはアデルと似たような環境にしているのかも知れません。また、セブにはモデルの恋人がいるものの撮影で知り合ったミュージシャン(Pomme)とのあいだで気持ちが揺れ動き、最後にオランジュリー美術館の睡蓮の間に 呼び出して気持ちを伝えます。
※スマートフォンの場合は2度押しが必要の場合があります
Pomme の「LA NUIT」はこの映画のためのオリジナルです。
いずれもフランス映画らしいまとめ方です。
感想:ベタな話がさらりと描かれ…
あれもこれも書いておこうとして長くなってしまいました(笑)。
セドリック・クラピッシュ監督は、基本、フランス的ベタな話を衒いなくさらりと撮る監督ですので観ていて楽な映画が多いです。観ていて気持ちが暗くなるような映画はありません。
私は「スパニッシュ・アパートメント」から観始め、その後ほとんど観ています。お勧めするならこれと「ダンサー イン Paris」、そしてこの「モネと時間旅行」もうまくまとめられた映画だと思います。
ところでアデルを演じているスザンヌ・ランドンさんは両親が共に俳優のサンドリーヌ・キベルランさんとヴァンサン・ランドンさんで、19歳の頃に自ら監督、脚本、主演した「スザンヌ、16歳」という映画を撮っています。現在26歳です。
ということで、19世紀末のモネの時代を知るためにはとてもいい映画でした。