男ともだち

男はみんな狼と言われても…

三島有紀子監督です。前作の「一月の声に歓びを刻め」でもう終わりにしようかなと思っていた監督ですが、松岡茉優さん主演ですので観てみました。それにしても海外の映画が少なくなりましたね。このところ邦画ばかり観ています。

男ともだち / 監督:三島有紀子

昭和的価値観

なぜもう終わりにしようと思ったかと言いますと、「幼な子われらに生まれ」「Red」「一月の声に歓びを刻め」と3本観ただけで決めつけるのもなんですが、この監督の映画からは昭和的価値観を強く感じるからです。昭和的価値観の良し悪しをどうこう言いたいのではなく、そのことに自覚がないままの古臭さを感じるということです。

「幼な子われらに生まれ」は家族観がそのものですし、「Red」はもろ昭和バブリー的昼メロ&女性旅立ちドラマです。

「一月の声に歓びを刻め」は前田敦子さん主演でしたので観たものの、監督自身が受けたという6才の頃の性被害を描いていますのでさすがにどう観ていいかわからない映画でした。主観的過ぎて映画としてどうなのかということです。

この映画「男ともだち」でも神名(松岡茉優)が幼い頃に性被害を受けたとモノローグで語っており、それが神名の描く絵に現れていると映画は言っています。

原作を知りませんのでまったくの想像ですが、この設定は原作にはなく三島有紀子監督の考えで加えられた(脚本は澤井香織さん…)んじゃないかと思います(憶測です…)。

男三人

映画のタイトル「男ともだち」を言葉通りに捉えれば、セックスのない男女関係は成立するかということかと思いますが、今の時代、こんなことを考える価値観ってあるんですかね。この男女間を問題にすること自体が昭和的じゃないかということです。

早い話、そんなこと、それぞれが個々で考えればいいんじゃないかというのが現代的感覚だと思います。普遍的な問題として映画で語るような深い話ではないです。

なんだか古臭いですね、というのがこの映画の感想です。

神名(松岡茉優)の対男関係が延々2時間10分描かれます。まず、神名は彰人(井上祐貴)と同棲しています。同棲といっても描かれるのは単に借家(京都なので町家のような借家…)をシェアしているだけのような感じで、身体的接触もなく、恋愛感情も感じられません。

神名はときどき医師の真司(中島歩)とセックスだけの関係を持っています。いや、わかんないけどそういう描き方です。映画冒頭が行為後らしい車の中のシーンで、神名の気だるいと言いますか、やるせないと言いますか、そんな感じの表情から始まります。

そして、映画の主題(でもないんだけど…)となっているハセオ(成田凌)です。大学時代の先輩であり、完全タメ口の本音語り(本音は言わないけど…)ができる「男ともだち」です。

神名はイラストレーターとして自立しており、絵本作家としても何らかの賞を受賞して出版もされています。生活の糧としては挿絵などイラストを描くことが主であり、映画中盤には出版会社から某挿絵画家が倒れたので代わりにその画家のタッチで描いてほしいと、有無を言わさぬ感じで引き受けさせられていました。断ったら仕事がなくなるといった立場なんでしょう。ハセオは製薬会社の営業として各地を飛び回っている設定です。

ということで、なんともやりきれない日々が続いている(ようだった…)神名にハセオから久しぶりに電話があり会うことになります。そして、京都、富山、広島と3か所での二人の会話シーンが描かれていくことになります。

女性性

まず、単純にその二人の会話が映画として面白いかということがあります。

んー、当然ながら人それぞれではありますが、私はダメです。台詞が日常語過ぎてつまらないですし映画的緊張感がありません。なにを話していたのかほとんど記憶していません。確かにお互いに気取りなくタメ口で会話していますが、あの会話は二人だけじゃなくても、たとえば仲間同士の飲み会での話と一緒で話した先から忘れてしまうような会話です。それを2時間あまり見せられるの結構つらいです。

それを京都、富山、広島と3か所で繰り返しているわけですのでどうしたって早く先に進めてよって気になるということです。1日だけで二人の関係はわかります。

で、結論です(笑)。神名が「ハセオはどうして私と寝ないの?」と言います。

え、なに言ってんの? と思いますけどね。自分が寝たいと思うのなら自分から「したい」と言えばいいんじゃないの。なぜ男が誘うものと思ってるの。神名はハセオも自分と寝たいと思っているはずだと考えていることになり、さらに言えば、男は女であれば誰とでも寝たいと思っていると考えていることになります。

こういうところにも、と言いますか、これ、この映画の主題だと思いますが、その肝心なところにも古臭い価値観が出ているということです。

逆の見方をすれば、たとえば神名が真司の車に乗るやいなやキスをし、セックスを主導するシーンであるとか、神名の大学自体の知り合いの女性が結婚したと言いながら他の男性と関係を持ち、それを隠すことなく話したりすることが、女性自ら男性からの性的対象化としての女性性を乗り越えようとする試みであるかのような描き方をしているのがこの映画ということです。

結局この映画の神名は、女性が男性からセックスの対象として見られているという女性性を大前提として、そこから逃れらたいと苦悶する女性の姿なんだと思います。それが原作にあるのかどうかはわかりませんが、映画においては神名のその苦悶の大きな理由を幼い頃の性被害だとしているんだと思われます。

感想、考察:神名が何を、なぜ乗り越えられたのかわからない

原作を読んでいませんのでまったくの想像ですが、原作はもっと軽い話じゃないですかね。

この映画の神名は一貫して重いです。最初からラストシーンの前まで思い悩んでいる姿ばかりです。それが何なのか、なぜなのか、結局映画としては導き出すことができなく、「一月の声に歓びを刻め」と同じように三島有紀子監督の幼い頃の性被害を持ち出さざるを得なかったのだと思います(間違っていたらゴメン…)。

もしそうだとすれば、原作と三島有紀子監督の思いのミスマッチじゃないでしょうか。

神名がよく映画館へ行くシーンも、映画で救われたという三島有紀子監督自身の体験が反映されているんだと思います。

ラストシーンは神名が油絵(アクリル絵の具かも…)を仕上げ、それが美術館の学芸員(みたいだった…、池畑慎之介)に認められることで神名の何かが変わったという終わり方になっています。

なぜ変われたのかもわからないまま唐突な画家シーンでした。