中川龍太郎監督の初期作品、「恒星の向こう側」に繋がっている感じはよく分かる
先日観た「恒星の向こう側」の宣伝コピーに「「走れ、絶望に追いつかれない速さで」「四月の永い夢」に続いて喪失と再生をテーマに撮りあげた3部作の最終章」とありましたので、そうなの? と思い配信で観てみました。

中川龍太郎監督
この映画は2016年、10年前の映画ですね。中川龍太郎監督、26歳のときの映画ということになります。「四月の永い夢」以降、劇場公開作はすべて観ているんですが、中川龍太郎監督の経歴も知らなかったものですから今ウィキペディアを読んでみました。
慶應義塾大学文学部進学後、独学で映画制作を開始。2012年、自主制作で監督した『Calling』がボストン国際映画祭で最優秀撮影賞受賞。同年、『雨粒の小さな歴史』がニューヨーク市国際映画祭で入選。
(ウィキペディア)
とあります。「Calling」というデビュー作(ということかな…)が22歳の時ということは大学時代の作品ということですね。その後、「雨粒の小さな歴史」「Plastic Love Story」の2作があって、私が初めて観た「愛の小さな歴史」、そしてこの「走れ、絶望に追いつかれない速さで」と続いています。
なかなかすごいですね。割と多作の監督で、「恒星の向こう側」に続いて、このあと「星の教室」「君の話」と2作続けて公開されます。たまたま公開が重なったのか、何なんでしょうね。
ネタバレあらすじ
大学時代をともに過ごした親友を失った男の話です。中川龍太郎監督の自伝的作品と言われているらしく、監督自身、親友を失くしているようです。
ファーストシーンは最後まで観ないとわからないまったく意味不明なシーンです。女の子(下半身だけのフレーミング…)がふすまを開けて部屋に入ってきます。敷かれた布団の上にある紙を取り上げます。切り替わって男が車を走らせています。夜です。夜明け前、その男が崖の上にいます。
薫(小林竜樹)の送別会です。就職で大阪に行くようです。このシーンは居酒屋でわいわい騒ぐ同窓生たちの様子がプライベート映像風に撮られています。親友と思しき漣(中野太賀)と薫の元カノ理沙子(黒川芽衣)がいます。薫は自分の送別会なのに先に帰るといって雨の中を去っていきます。
1年後、薫の両親がしのぶ会を催し、同窓生たちが集まっています。漣が両親に呼ばれて薫が最後に描いたという1枚のデッサン画を見せられます。中学の時の富山の同級生の女性だというのです。
という導入があり、漣はその女性に会うために理沙子とともに富山に行くことにします。
結局、残された者、漣と理沙子ともに薫がなぜ自殺したのか整理がつかず、心の中のもやもやが消えず1年経っても引きずっているということです。フラッシュバックで漣と薫がひとつ部屋に二段ベッドを置いて大学生活を送っていた様子や飲み歩いた朝方のビルの屋上で夜明けを迎えるシーンが挿入されています。その時薫は夜明けの太陽の前を横切るように飛んていく鳥を見て、あれ、あれ、と叫び、自らも空を滑空しているかのように走り回っています。
漣は未だ薫との記憶の中にいてその部屋を出ることが出来ずにいます。二段ベッドの上は空のままです。
富山です。車で移動しており、かなり長いドライブシーンがあります。二人は薫が飛び降りた崖の上にいます。突然理沙子が泣き始めます。その後、海岸で凧揚げをしている子どもたちと出会い、その子どものひとりの家と思われる旅館に泊まることにします。
このシーンでその子ども、女の子が布団を敷いておきましたと言って立ち去る際に、漣にあの、と声を掛けたものの、いえ、なにもと言って立ち去ります。ん? と、このときは繋がりませんでしたがファーストシーンの女の子でした。ちょっと中途半端な入れ方でしたけどね。
夜、漣と理沙子は薫の話をします。理沙子は明日電車で帰ると言います。これ以上振り回されるのも癪だしと裏腹な気持ちを吐き出しています。漣はいっそ憎んでいてくれたら、自分と関係なく死なれたという方がしんどいと言っています。
薫が最後に描いた絵
ロードムービー風に車からの風景や富山の街の夜景が続きます。
漣は薫の初恋の女性の居場所を見つけ、仕事先のクラブに入り、その女性を指名します。
漣は、薫のことを覚えていますか? 死んだんです。あいつが最後に描いた絵だそうです、と絵を見せます。
女性は、わざわざこれを? 期待外れだったでしょう、と笑っています。
そして、女性は「自分の問題は自分で解決してもらっていいかな」と漣を突き放します。
再び崖の上に立つ漣、慟哭しています。旅館の店主が見に来ます。おそらく、薫のこともあり気配を感じて見に来たんでしょう。店主がすき鍋を作ってくれます。
食べながら泣きじゃくる漣の長いカットがあります。そして帰り際、漣は鴨居に飾られた1枚の絵に目を留めます。夜明けの太陽(と思われる…)絵です。
薫が最後に描いた絵は初恋の同級生のデッサン画ではなく、漣と一緒に見た夜明けの太陽、そしてその光に向かって飛び出していく自らの姿だったのです。
薫は自殺する前日漣たちが泊まった宿と同じところに泊まり、その絵を描いて置いて出ていったのです。映画の最初のシーンはその宿の女の子がふすまを開けて部屋に入り、布団の上に置かれた絵を見るところだったということです。その女の子が漣にあの、となにか言いたげに声を掛けたのはなんとなく感じることがあったのか、あるいは薫がなにか話したのかもしれません。
漣はやっと吹っ切れたようです。たまたま見かけたハングライダーに魅せられてレッスンを受け、また疎遠だった父親にも電話をします。薫と暮らしたアパートを出る決心もします。
ラストシーンは、夜明けの太陽に向かってハングライダーで空に飛び立つ漣です。
英題は「Tokyo Sunrize」なんですね。
感想:喪失感か…
パソコン上で観ていますので劇場で観るのとは随分違いますが、それでも思いは強く伝わってきます。
いいところも悪いところも「恒星の向こう側」に繋がっていますね。私には評価の高い「四月の永い夢」や「わたしは光をにぎっている」や「静かな雨」とは映画のつくりもちょっと違う印象です。
この「走れ、絶望に追いつかれない速さで」も「恒星の向こう側」も映画の導入部分があまり機能していないことや物語自体にあまり動きがなく、ひとつの思いが全編を覆っているところなど映画のつくりがとてもよく似ています。
その点では上に上げた三作とは随分異なっています。私が評価している三作には映画が物語を語るものという点に置いてある種の完成度が感じられます。動きがあるという言い方もできますが、この映画と「恒星の向こう側」はひとつの思いを語ることが全体を覆っています。漣の喪失感であり、可那子の喪失感です。
中川龍太郎監督の映画を評価できるのはこうした映画づくりのベースとなる伝えたいという強い思いがあるからだと思います。
この後続けて公開される「星の教室」「君の話」も楽しみです。