さよなら、僕の英雄

とらえどころのない映画と感じるも、アナス・トマス・イェンセン監督の想定内であるようだ

なんともとらえどころのない映画ですが、面白いですね。笑えるところもありますがコメディというわけでもなく、風刺的なのに何を風刺しているのかよくわかりませんし、暴力描写(そのものはない…)はかなりのものですし、そうですね、ひとことで言えばシュールな映画です。

さよなら、僕の英雄 / 監督:アナス・トマス・イェンセン

ネタバレあらすじ

ただ、アナス・トマス・イェンセン監督へのインタビュー記事を読みますと、そのとらえどころのなさもどうやら想定内であり、コメディだとかサスペンスだとかのジャンル分けは慣習みたいなもので、観客に観る前に準備させるためのもの(it is a convention, a sales tool created to keep the audience safe from surprises(The Film Verdict))と語っています。もちろんジャンルを否定しているわけでない(It’s not that I’m opposed to genres)とも言っています。

多様なものを含んだ映画でいいんじゃないかということでしょう。

この映画の軸となっているプロットは、強盗の罪で15年間服役して出所してきた弟が、服役前に兄に埋めるように指示しておいた金を手にしようとするも、弟が解離性同一性障害(いわゆる多重人格…)になっているためになかなか手に入らないというものです。

その兄弟を演じているのは、兄マンフレルにマッツ・ミケルセンさん、弟アンカーにニコライ・リー・コスさんです。

この二人、アナス・トマス・イェンセンさんが監督した映画の常連なんですね。アナス・トマス・イェンセンさんは他の監督のシナリオもたくさん書いており、それらは結構観ているんですが監督作品は初めてです。面白そうですので観てみようかな。

画一社会と自己(アイデンティティ)

映画冒頭とラストにバイキングの一族の話を描いた短いアニメーションが入ります。

この一族は平等という価値観を旨としており、ある時、族長の息子が片腕を失い将来に絶望したためにその族長は一族のみんなの片腕を切り落とすことにします。一族は平等になり息子は悲観することなく立ち直ったということです。

先にラストのアニメーションの内容を書いておきますと、まあ予想通りではありますが、次は息子が戦いで足を失ったため全員が足を切断されます。それでも一族は幸せに暮らしたということです。そして最後は息子が首をはねられたため、族長は全員の首をはねるよう命じ、それを見てこれで全員が平等になったと満足しながら自分の首もはねるよう命じます。

族長の首を落とした人はどうなったんだろうというツッコミはしちゃいけないのだと思いますが、この話のどこに教訓があるかということになります。

字幕では「平等」となっていましたが、むしろ「画一性」「均質性」「同調性」と考えれば理解しやすく、多分画一性を求める社会は危険だよという教訓だと思います。日本は集団からの同調圧力が強い社会と言われますが、デンマークでもそういう感覚があるんでしょうか。

この教訓と映画の本編にどういう関連があるんでしょう。まあ確かにこの映画の登場人物は画一的とは言えませんし、多様であると言えば多様ではあります。とは言っても、兄弟にしてもその家族にしても、ビートルズのコピーバンドを目指して集まる人たちにしても、現実社会の象徴とみるのはちょっと難しいですね。

解離性同一性障害(Dissociative identity disorder)

15年前、アンカー(ニコライ・リー・コス)は銀行強盗で手にした金をコインロッカーに預け、その鍵を兄のマンフレル(マッツ・ミケルセン)に渡し、飲み込んで、出たら洗って飲み込んで、また出たらコインロッカーからバッグを出して森に埋めろと指示して、その後逮捕されます。

この時マンフレルは即座に鍵を飲み込みます。映画はマンフレルの状態について何も語っていませんが、おそらく何らかの発達障害、自閉症スペクトラム症という設定なんだろうと思います。この後何ヶ所かフラッシュバックされる子ども時代のシーンではバイキングに執着する子どもとして描かれています。

そして15年後、アンカーが出所してマンフレルと妹フレイヤ(ボディル・ヨルゲンセン)のもとに戻ってきます。アンカーは金の隠し場所を聞き出そうとするも、この時マンフレルは解離性同一性障害となっており、自分をジョン・レノンだと思っています。ジョンではなくマンフレルと呼ぼうものならその瞬間自殺行為におよびます。この再会シーンでもいきなり窓から飛び出していました。

むちゃくちゃ美しい飛び出し方でしたが、あれはスタントなんでしょうか、それともマッツ・ミケルセンさんはダンサーでもありましたので本人の自演なんでしょうか。

マンフレルはもうひとつ奇妙な行動をします。犬に病的な執着があり、犬とみれば抱き上げて自分の犬だと離さなくなってしまいます。といったマンフレルのおかしな行動をめぐる中で次なる展開のための準備がされます。

まず、銀行強盗の相棒フレミング(ニコラス・ブロ)がやってきてアンカーに自分の分け前は使ってしまったので金をくれと言ってきます。このフレミングは暴力担当です(笑)。

精神科病院では精神科医を名乗るローター(ラーシュ・ブリグマン)と出会い、マンフレルの治療のためにジョン・レノン妄想を現実のものとすることでアイデンティティの解離を解消する実験を提案されます。ポール(=ジョージの両方…)とリンゴを自認する患者とともにビートルズのコピーバンドを結成させようと言うのです。

アンカーは提案を拒否し、マンフレルを連れ出して子どものころ暮らした森の家に向かいます。現在そこは宿泊施設になっており、マグレーデ(ソフィー・グローベール)とヴェアナ(ソーレン・マリン)夫婦がオーナーとなっています。

多様な集団とトラウマ

ということで登場人物が揃い、ここからは一体どこに向かっているのだといったややドタバタ系の展開が続きます。

マグレーデとヴェアナ夫婦は4人での食事の席でお互いにそれぞれの過去をけなし合ったりします。かと言ってそれで喧嘩になったりするわけではなく本音を語っているというブラックなシーンを見せているんだと思います。その状況になったのもマンフレルが妻は美しいのに夫が醜いのはなぜだと本人たちに向かって言ったことからです。

笑えないブラックコメディということでしょう。

ローターがポール=ジョージとリンゴを連れてやってきます。ローターは町のコンテストへの出演を申し込み練習をさせます。まあこの練習でもあれこれあるのですが、目立つところではポール=ジョージはスウェーデン出身らしくビートルズの曲ではなくアバの曲を演奏したがります。それにイケアを使ってのジョークなのか何なのかよくわからない話もありました。またポール=ジョージはホロコーストの話をよく持ち出していました。

いずれにしてもこうしたことがギャグネタなのか、なにか暗喩しているものなのかといったことがよく分からず、やや散漫な中盤になっています。北欧では受けるのかもしれません。

そうした中、アンカーの目的は埋めた金を探し出すことですのでマンフレルを森へ連れ出し思い出させようとします。おそらくそうした刺激がマンフレルの記憶を呼び覚ますということなんでしょう、子ども時代の兄弟のフラッシュバックが何シーンか挿入されます。

父親は兄弟を虐待しており、マンフレルがバイキングに執着してバイキングの被り物をしたりすることに激怒して鞭打ちの体罰をします。アンカーにもマンフレルの面倒をみないからと同じように鞭打ちします。

森の中、マンフレルがここだと示した場所を掘ってみたところ、出てきたのは犬の頭蓋骨です。これも父親が殺した犬の墓だったのです。マンフレルが犬に執着するのはこのトラウマからということです。

その頃、妹のフレイヤのもとにフレミングがやってきアンカーの居場所を聞き出そうと激しく暴行します。向かい合って話しているときにいきなり顔面を殴りフレイヤが吹っ飛びます。さらに暴行シーンがあり、フレイヤは近くにあった(なぜあったのか忘れた…)大型のエアータッカーでフレミングの足を床に打ち付けて逃げ出します。

明らかになるトラウマの原因

その後ヴェアナが作ったサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド風の衣装が元でポール=ジョージと言い争いとなり、ポール=ジョージがギターを叩きつけて出ていきます。

また、実は精神科医を名乗っていたローターも入院患者であったことが判明し、アンカーとの間で争いとなりローターは逃げ出します。

さらにフレイヤを追ってきたフレミングがここに加わり、フレミングはフレイヤとアンカーを血まみれにし、マンフレルに車を運転させて金の隠し場所へ向かいます。マンフレルはどんどんスピードをあげていきます。慌てたフレミングがマンフレルの名を口にします。マンフレルは車から飛び出します(自殺行為です…)。車はそのまま突っ走って衝突し横転し爆発してフレミングは死亡します。

アンカーのもとに戻ったマンフレルは森へ入っていき掘る場所を指示します。アンカーはスーツケースを掘り出します。中に父親のパスポートと衣服が入っています。

子どものころのフラッシュバックです。アンカーが鞭打ちの体罰を受けています。マンフレルが父親を階段から突き落とします。動けなくなった父親は助けを呼んでくれと懇願しています。アンカーは物置から斧を持ち出し倒れたままの父親に何度も振り下ろします。テレビからはジョン・レノンが殺害されたとのニュース映像が流れています。

その後、マンフレルはアンカーに隠し場所を示します。アンカーは掘り返して強盗で得た金を手にします。また、アンカーは妹のフレイヤに父親のことを話します。ここは引きの画でセリフはなく、フレイヤが驚きのあまり泣き崩れています。

後日、ビートルズのコピーバンドは町のコンテストに出場し「Twist and Shout」を演奏します。その時、客席のアンカーには微かに笑みが浮かんでいます。

また後日、ヴェアナ(書いていませんがヴェアナは今は売れない児童書の作家となっている…)は自分が書いておいた人物画にバイキングの角が描かれていることに気付きます。マンフレルが描いたものです。ヴェアナは他の人物にも角を描き物語を完成させます。

そしてアニメーションに続きます。

感想、考察:風変わりでブラックさを楽しめる人の映画

という、やはりとりとめがないとしか言いようのない、あえて言えばブラックコメディ、暴力的でダークな犯罪もの、あるいはトラウマを抱えた兄弟姉妹ものという北欧映画らしいカラッとしたところのない興味深くもあまり面白くない(笑)映画でした。

いや、面白いですよ。アナス・トマス・イェンセン監督の観ていない監督作を観てみようと思ったくらいですから。

ただ、肝心のマンフレル、アンカー兄弟の人物像がはっきりしていないのは気になります。

マンフレルがバイキングに執着するわけがわからない、発達障害といった障害はあるのか、解離性同一性障害は本当なのか、金の隠し場所はわかっていて言わなかったのかなどといったことがかなり曖昧であり、それはおそらくマッツ・ミケルセンさんに対して監督の演出がなされていないことからきているのではないかと思います。

インタビューではマッツ・ミケルセンさんが困っていたと語っています。

アンカーにしても父親殺しについての心情を描いたシーンがなく、記憶を失っていたのかとか、罪悪感はなかったのかとか、そうしたところがはっきりしていません。

また、妹のフレイヤはアンカーから父親の死(失踪したと聞かされていた…)の真実を聞いて泣き崩れていましたが、兄弟への虐待を知りながら父親を愛していたんでしょうか。

こうした、ある種ハチャメチャな物語は好きな方ですので面白いとは思いますが、どうしても突き抜けられない北欧映画の重々しさを感じた映画です。

ところで1年ほど前に公開された「愛を耕すひと」の脚本もアナス・トマス・イェンセンさんだったんですね。