ドレッシング・アップ Dressing UP

「よだかの片想い」でセンスがいいと感じた安川有果監督の「Dressing UP」を観てみた

当サイトの「よく読まれている映画」に「よだかの片想い」が上がっているのを目にし(しばらく前です…)、そう言えば安川有果監督をセンスがいいと評したことを思い出して「Dressing UP」を観てみました。

ドレッシング・アップ Dressing UP / 監督:安川有果

安川有果監督

2012年、14年前の映画なんですね。安川有果監督は1986年生まれとなっていますので26歳の頃の映画になります。この映画の前の2010年には「カノジョは大丈夫」という短編を撮っています。安川監督のウィキペディアには「大阪美術専門学校に入学」とあるだけで詳細はわかりません。

その学校には映画専門のコースもなさそう(20数年前なのでわからないけど…)ですし、仮に3年コースを卒業したとしてその後2,3年に「桃まつり」に参加し、さらにその2年後にこの「Dressing UP」を撮り、大阪アジアン映画祭で公開され、しばらくして劇場公開されています。

Dressing UP

で、映画です。「Dressing UP」のタイトルからしますと内容がかけ離れていますね。

中学生の育美(祷キララ)が自分の中に潜む凶暴性を感じ始め、そのルーツをたどるうちに自分と同じ母親の過去を知るという話、あるいは幼い頃に亡くなった母親がどんな人だったか知るうちに母親の持っていた凶暴性に同一化していく話です。

母親のことを知ろうとする前からボソボソと死ねなんて言葉を漏らしていますのでどちらかと言いますと前者だとは思いますが、どちらにしても育美の凶暴性には理由はなく、また母親のそれにも説明はありませんのでなんだかわからないけれども人を傷つけてしまうほどの破壊的なエネルギーが溜まっているということになります。

映画はその凶暴性がどこからくるのかに迫ろうとしているわけではなく育美の行動を追っているだけです。ラストではその凶暴性は母親由来のものだとの夢を見ることで解消してしまっています。

ですのでこの映画を物語という点で評価してもあまり意味はなさそうで、あえて言えば、思春期に起きやすい理由のない怒りのような感情が、母親の過去を知ることで自分も母親と同じになるのではないかとの怖れに結びついたということかと思います。思春期のアイデンティティ・クライシスですね。

よだかの片想い」のどこにセンスの良さを感じたのかは記憶がありませんし、おそらく明確なこれというものではなくちょっとした演出じゃないかと思います。この映画で言えばフリースクールのラストシーンで育美が将来について語るその言葉に音楽を被せてはっきり聞かせないところや所々に育美のつぶやきをこれまた聞き取れないように入れていることはなるほどと思わせます。

それに無駄なシーンやカットがないですね。的確に簡潔に物語を進めています。

よだかの片想い」の後は

といった映画ですので今後も安川有果監督の映画を観る機会はあまりなさそうです。