愛と銃弾

イタリアン・ハードボイルド・フィルム・ノワール・ミュージカル映画

これは、配給の宣伝担当を褒めたいですね(笑)。

「愛と銃弾」なんてタイトル、むちゃくちゃそそります。まあ、原題も近い意味なんでしょうが、下に引用した画像といい、「死んでも、愛して。」とか、このなんともいえないクサさの同居した切ないかっこよさ、どう考えてもフィルム・ノワール系のクライムものを思わせます。

愛と銃弾

愛と銃弾 / 監督:マネッティ・ブラザーズ

でも、ずっこけます(笑)。

特に私の場合、歌を歌うらしい程度の前情報で予告編も見ていませんでしたので、いきなり死体が棺桶の中で歌い始めたときは、ヤバイ! これ、ついていけるかな? と、一瞬構えてしまいました。でも、大丈夫です。つくり手に迷いのない映画はどんなものであれ見られます。何でもそうですが、自信を持ってやっていることで、なおかつそこに上から目線さや押し付けがましさがなければ、それは評価に値します。

私はこういうセンス、大好きなのでオススメしておきます(笑)。

ただ、もう少しテンポよく圧倒的にやってくれれば満足だったのですが、ちょっとだれます。それに歌をもう少し減らしたほうがよかったですね。余計なことかな?

物語も映画の作りも新鮮なところがあるわけではありません。ナポリのマフィア(というのかどうか?)の内部抗争(というほどのものでもない)に若い二人のロマンスを絡めたベタな話です。

自分の記憶のためにもざっと粗筋を書いておこうと思いますが、正直なところあまり意味はありません。この映画の持ち味は、結構頻繁に入るミュージカル風の歌と様々な映画のネタをパロディ風に取り入れているところで、繰り返しになりすが、それを迷いなくやっているところです。そのどちらも「風」としたのは、たとえば歌にしてもミュージカルと聞いてイメージするあのハイテンションさはありません。どうだ楽しいだろ、悲しいだろなどとの押し付けがましさはありません。映画の引用にしても、パロディやオマージュなどという言葉が当てはまるものではないのですが、かといって、映画に対するリスペクトを疑わせるようなことはしていません。

ナポリの水産業を取り仕切るヴィンチェンツォは、敵対する(チンケな(笑))組織に襲われお尻を撃たれます(笑)。妻マリアは映画好きで、007云々と言っていましたので多分「007は二度死ぬ」ではないかと思いますが、この騒ぎを利用して夫が死んだことにしようと計画します。

その理由がなんとも可愛いんですが、こんなことはもう嫌だしお金もあるので夫と二人で南の島(だったかな?)でも行ってのんびり暮らそうというもので、これまで築いてきた水産業はすべて部下たちに与えるというのです。夫もお前と一緒ならと、ただひとつ母親を悲しませることはつらいと、なんともイタリア人っぽい(かな?)ことを言いつつもおとなしく妻に従います。

こういう映画なんです。人はバンバン撃たれてたくさん死にますが、ひとりとして悪人は出てきません。(これ、変かな?)

こんなシーンもありました。マリアはもともと家政婦だったとのことで、だからというわけでもないのでしょうが、ある時、現在二人いる家政婦のうちの古株がもうひとりをいじめている場面に遭遇し、その古株を叱りつけるのです。当然ながらマリアの人物像を見せようとしているわけですから、つくり手の明確な意志でしょう。

ヴィンチェンツォにはチーロとロザリオという子飼いの殺し屋がいます。この二人は若い頃から殺し屋としての英才教育を受けています。過去のシーンには東洋人の先生にカンフーを教わるシーンなどもありました。

で、まずは皆でヴィンチェンツォを秘密裏に病院へ運び治療をするのですが、たまたまヴィンチェンツォがひとりの時に看護師にその姿を見られてしまいます。

チーロとロザリオはその看護師を見つけようと病院中を探し回ります。

そして、何と、チーロがその看護師を見つけてみれば、その人はチーロがまだ若き頃、愛を誓った初恋の人ファティマだったのです。

見つめ合う二人、そこに流れる曲は「What A Feeling」、あの「フラッシュダンス」のテーマ曲です。


フラッシュダンス – ホワット・ア・フィーリン Flashdance… What a Feeling

ファティマ(セレーナ・ロッシ)が歌います。もちろん歌詞は映画の物語にそったイタリア語の歌詞に代えられています。このセレーナ・ロッシさん、ミュージカル俳優でもあるらしく、「アナと雪の女王」のアナをやっているとのこと、これですかね。


Disney Frozen: Le avventure di Olaf – Serena Rossi è la voce di Anna – Featurette

監督のマネッティ兄弟、マルコさんとアントニオさんは1968年と1970年生まれですので「フラッシュダンス」公開時は15歳と13歳、リアルタイムで見ているかどうかは微妙です。もちろん 007もそうですがたくさん DVDで見ているのでしょう。

で、チーロは、おそらく冷静沈着な殺し屋を演技しているんだと思いますが、全く表情も変えずにファティマを守るために組織を抜けて逃げる道を選びます。

チーロをやっているのはジャンパオロ・モレッリさん、正直なところ、全く殺し屋にはみえず、気のいいお兄ちゃんにしかみえません(笑)。これも狙いなんでしょうか。

ということで、この後はチーロと組織の抗争となるのですが、細かいことは覚えていません。それでもいい映画ですから(笑)。とにかく、チーロは小気味いいくらいに組織の追っ手をパンパーンと一発で仕留めていきます。

一方、ヴィンチェンツォの方はマリアがすべて仕切っています。夫を自分が「パニック・ルーム」と呼んでいる秘密の部屋に隠し、葬式を出すために夫そっくりの靴屋の主人を殺し(オイ、オイ)、国中にヴィンチェンツォが死んだことを示そうとします。

チーロには手助けしてくれるおじさんがいます。しかし、それを知った組織は、NYに留学しているおじさんの娘を人質にしておじさんに裏切らせます。

危機に陥ったチーロ、ここでその形勢を逆転させるのがファティマです。「私にいい考えがある」とある策略を練ります。

この策略も何かの映画の引用かもしれませんね。

結局、その策略とは、チーロは死んだと見せかけ、人質にとられている NYの娘を開放させ、なおかつパニックルームに潜んでいるヴィンチェンツォを警察に発見させるという妙手で、さらにマリアが隠し持っているダイヤを手に入れてチーロとファティマふたりは南の島(ハワイ?)へ逃げることになります。

これ、面白いですね。マリアとファティマ女性二人が考えることが全く同じです。ただ、シナリオにクレジットされている3人はみな男ですので、これがイタリアの男たちの願いなんでしょう(笑)。

チーロが死んだと見せかけるシーンでは、これまで二人してかなりの修羅場をくぐり抜けてきたであろう義兄弟のロザリオとの対峙として盛り上げ…、いや、あまり盛り上げようという気はないでしょうが、ある種見せ場としています。映画の中頃に、ともに殺し屋となるため競い合って訓練するシーンがあり、チーロがロザリオに負かされて倒れ、手を出して立ち上がらせてくれといったしぐさをし、手を取り合った瞬間にチーロがロザリオを拳銃で撃つという流れをこの見せ場で繰り返しています。

ただ、ここでは立場は逆になり、ロザリオが負かされて倒れています。

ああ、チーロは撃たれて死ぬんだなあ…、これこそ、悲劇的なフィルム・ノワールだなあ…などと先を予想して悦に入っていましたら、映画はさらに上をいっており、チーロはすまんとか許せだったかそんな詫びを入れてバーンとロザリオを撃ち殺していました。

その後、おじさんが海から(ふたりの対決は海辺です)ボートに乗って、チーロを機関銃で撃ち殺し、その映像を NYに送って娘を開放させ、もちろん、チーロが撃たれたのは仕組まれた芝居で、死体が海に流されたように見せかけるために流れた血だけはあらかじめ抜いておいた本物の血を流し、本人は海に潜って逃げたというわけです。

で、チーロとファティマはハワイです(笑)。ファティマのお腹にはふたりの子どもがいます。

一方のヴィンチェンツォとマリアは偽装葬式がバレて逮捕、その他いろいろな悪事もあるのでしょう、刑務所に入っています。とはいっても、ふたりで歌って踊っていたのような…(笑)。

他にも、目につくところではスリラーとかバック・トゥ・ザ・フューチャーの引用もありました。

正直なところ、決して無茶苦茶面白いというわけではありません。スコーンと抜けるおバカ系でもありません。完成度は決して高くありませんが、ある意味、映画とはこういうものだという、幼い頃に見た(リアルタイムではない(笑))エノケン映画のような笑いと切なさとバカバカしさが同居した映画の原点のようなものを感じるのです。

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