ガス・ヴァン・サント監督はこの事件の、あるいはこの人物の何に惹かれて映画化したんでしょう
50年前の1977年にアメリカで起きた人質事件を再現したような映画なんですが、ガス・ヴァン・サント監督はこの事件の何に興味を持ち、どこに現代性を感じたんでしょうね。私にはまったくわかりませんのでおそらくアメリカ独特の何かがあるのでしょう。

ネタバレあらすじ
物語を追いながら、ガス・ヴァン・サント監督が何に興味を持ったのか探ってみようと思います。
トニーはなぜ事件を起こしたのか?
1977年2月8日、インディアナ州インディアナポリスで起きた事件です。その日、トニー・キリシス(ビル・スカルスガルド)は不動産ローン会社メリディアン・モーゲージ社を訪れて社長の息子である副社長ディック・ホール(デイカー・モンゴメリー)を人質に取り、社長 M・L・ホール(アル・パチーノ)からの謝罪と500万ドルの支払い、そして事件に対する刑事免責を求めます。
人質のとり方はタイトルにもなっている「デッドマンズ・ワイヤ」という方法で、人質ディックの首にショットガンをワイヤで固定し、引き金と自分をワイヤでつなぎ(多分そういうこと…)、人質が逃げようとしたり警官が自分を取り押さえようとすれば引き金が引かれるという仕掛けです。トニーはその状態のままディックを自分のアパートメントまで連れていき籠城します。
トニーはなぜこんな事件を起こしたんでしょう?
ところがです、この映画、これにはまったく興味がないようでトニーの言い分が語られるだけなんです。トニーはある土地にスーパーマーケットを誘致しようとしていたところ、M・Lが邪魔をして計画が没になり借金を抱えたと主張しています。多分 M・L 社から融資を受けて返済できなくなり土地を取り上げられたということだと思います。
映画中頃にトニーが M・L と電話で話をするシーンがあります。トニーが怒りをぶつけるのかと思いましたが、たしかにそれはあるとしても M・L を演じるアル・パチーノさんの圧倒的な存在感が前面に出ているだけでトラブルのもとのことなど何もわかりません(笑)。
早い話、映画はトニーの怒りは私憤だとみているわけです。
世間はどうみていたのか?
映画.com だったかにこの事件によって世論が二分するみたいな紹介がされていたと思います。
この点に関わる登場人物としては、まず人気ラジオ番組の DJ フレッド・テンプル(コールマン・ドミンゴ)がいます。トニーはこの番組をよく聴いておりフレッドのファンです。
映画はフレッドの DJ シーンからスタートしているくらいですので重要度は高いとは思うんですが、フレッドの関わりが中途半端で特に印象に残るシーンもありません。そもそもフレッドがトニーに興味を持っているようには描かれていませんし、大してやり取りもありませんので単なる傍観者の立ち位置でしかありません。妻まで登場させたワンシーンがありましたが、あんなシーンよりももっと会話させればいいのにと思います。
世間という点ではもうひとりテレビ局の記者リンダ・ペイジ(マイハラ)がいます。リンダはたまたま事件に出くわし、いつもはつまらないレポートしかさせてもらえない(というような意味合い…)からこれ幸いとトニーの後を追い、現場レポートを続けます。
がしかし、如何せん登場シーンが少なく映画としての扱いの度合いが低いんです。なぜもっと活躍させないんでしょうね。
50年前のアメリカのマスコミがどうであったかはわかりませんが、いわゆる日本映画によくあるメディアスクラムのような描き方はされておらず、事件の最終段階では三大ネットワークを集めてのトニーの記者会見があるにもかかわらず「世間」という存在自体がまったく浮かび上がってきません。
そもそも映画自体が「世論を二分する」なんてことを言っておらず、これは高市首相の言葉を利用した宣伝文句だったということですね。
本当にこの文言が使われているかと心配になり公式サイトを検索してみましたらありました(笑)。
メディアを通したトニーの訴えは世論を二分し、アメリカ中に大混乱を巻き起こす。
(日本の公式サイト)
警察や FBI の意図はなんだった?
残るは捜査機関は何をしていたかです。
これにはかなり時間が費やされています。この映画、ほとんどトニーと警察とのシーンで占められており、トニーとも知り合いらしい刑事マイケル・グレイブル(ケイリー・エルウィス)がかなり特別感を醸し出して登場します。一般的なクライムものでこうした登場の仕方ですと、犯人を説得したり、策略を練ったりする役割になるのですが、これまた大した役割は与えてもらえず、姿は見えても、何してんの、この人? といった存在です。
FBI がやってきます。黒板を使ってトニーの心理分析みたいなことをやっていましたが、あの FBI、偽物じゃないですかね(笑)。まあ、それはともかく、この FBI もその後は影の薄い存在となっていました。他にも署長とか議員(違うかも…)とかいろいろ登場していましたが、みな記者会見のときの壁の花みたいに後ろに立っていただけでした。
それにしても、犯人と人質の記者会見のくっつきそうなその後ろに警官が立っているのもおもしろいですね。
結局、この捜査陣、誰が軸となっているかわからないままにトニーを騙して射殺する計画を立てます。記者会見をさせ、誰々がどこに立ち、誰々が耳の後ろから撃つとかと計画していましたが、実際にはその素振りも見せずに記者会見は終わり、どこかの部屋に入り、諸々の契約書にトニーがサインし、その後ショットガンを天井に向けて発射してディックを開放、そして逮捕されていました。
映画はその後、裁判の顛末と実写のアーカイブ映像が流れて終わります。
感想:トニーという人物に興味を持った?
ガス・ヴァン・サント監督はこの映画についてのインタビューで「私の映画の多くは実話に基づいている」と語った後、こんなことを言っています。
I’ve always been drawn to what makes people do what they do.
私は昔から人がなぜそのような行動をとるのかという点に惹かれてきました
(Variety)
なお、上の引用は「it’s about what makes someone act a certain way — that question inside the crime.」のインタビュアーによる要約かも知れません。
やはり、この映画を撮ろうとした一番の理由はこれですかね。
でも、そうだとしてこの映画のトニーに「なぜそのような行動を取るのか」という疑問はありますか。アメリカですからねえ、銃が手元にあればそれで脅すなんて行為までにさしたる壁はないんじゃないでしょうか。
この映画のトニー・キリシスは普通人です。怒りが沸点に達して自分を失っている風でもなく、双極性障害のように精神状態のブレも大きくありませんし、あんなことで簡単に騙されてもその後の絶望感も感じられません。言うなればちょっとやっちまったみたいな脳天気な犯罪者です。
その行動とは騙され方とか? いや、それですとコメディ系の犯罪になってしまいます。
引用したインタビュー記事を読みますと、ガス・ヴァン・サント監督、このプロジェクトに参加するかどうか、つまり監督を引き受けるかどうか迷ったような気配があります。何ヶ月前の打ち合わせかわかりませんが11月から撮影を初めなくてはいけないという時点で参加するかどうか考えていたと語っています。
まったくの想像ですが、あまり乗り気じゃなかったというのが本音じゃないでしょうか。映画からはそう読み取れます。
ところで、「マイ・プライベート・アイダホ」と「ドラッグストア・カウボーイ」のデジタルリマスター版が公開されるようですね。