優れた映像センスと物足りない物語性
バルト三国のうち、最も南の国リトアニアの映画です。時代はソ連から独立を果たした直後の1992年、およそ30年前の物語です。ややとりとめのないところもありますが、映像が特徴的で興味深い映画です。

ネタバレあらすじ
物語の時代背景
コヴァス(マータス・メトレフスキ)はアメリカ生まれの12歳、母親ヴィクトリア(セヴィリヤ・ヤノシャウスカイテ)が夫(アメリカ人なのかな…)と離婚したために母親の祖国リトアニアに移り住むことになります。
ヴィクトリアは自分が生まれた家で暮らすつもりでいますが、なにせ祖国を離れて20年の月日が経っていますし、そもそもその土地と家は第二次世界大戦後に国自体がソ連に編入された際に接収されて、両親も殺害されたという経緯があるのです。
そのあたりのことをウィキペディアのリトアニアのページから引用しますと、
1944年、ソ連軍が再び侵攻し、その後はリトアニア・ソビエト社会主義共和国としてソ連に編入された。1944年から1952年にかけて、約10万人のパルチザン「森の兄弟」がソビエト当局と戦った。約3万人のパルチザン兵士およびその支援者は殺され、そのほかにも多くが逮捕され、シベリアのグラグへと強制追放された。第二次世界大戦中、あわせて78万人の住民がリトアニアで殺された。
(ウィキペディア)
という時代背景のある映画です。ヴィクトリアは叔母(か叔父…)に引き取られて育ったと言っています。
さらにヴィクトリアたちが国に戻った頃にしても、リトアニアはソビエト連邦崩壊前の1990年3月11日に独立回復宣言をしていますので、ソ連の軍事侵攻による衝突で多くの死傷者が出ています。その後はソ連内部が混乱に陥り、1991年9月6日にはソ連からも独立が認められています。
ですのでその家は少なくとも40年ほどはソ連によって使用されていたということになります。果たしてヴィクトリアはその家を取り戻せるか、ということになりますし、映画は基本的にはそれが軸になって進みます。ただ、この映画、それが軸ではあってもそれを描こうとしているわけではないようです。
この映画は、画の撮り方としても、初めてリトアニアという国に降り立ったコヴァス視点で撮られており、たとえばヴィクトリアが誰かと会っているシーンがあったとしても、それをコヴァスが離れたところから見ているカットで描かれたりします。ですのでコヴァスにしてみれば、たとえ母から聞かされてはいてもそこは見知らぬ土地であり、見知らぬ人々であり、それゆえ不安と戸惑いの中にあるのだと思います。
コヴァス目線の映像
というつくりの映画なんですが、残念ながらなかなかコヴァスの心情を感じづらく、12歳であれば現実はあんな感じなんでしょうが、やはり映画的には物足りなく感じられます。
映画はヴィクトリアがリトアニアのおとぎ話を語るナレーションから入ります。幼い頃のコヴァスに聴かせている設定のようでしたが、画は空港の待合室や機内のコヴァスを撮ったシーン(だった思う…)ですのであまりぴったりしていません。それにナレーション自体も何箇所かに分割されていました(これも記憶が定かではない…)ので内容はまったく残っていません。
この導入パートにはどことなく違和感を感じます。コヴァス視点の映画ですのでのありきたりだとしてもコヴァスのその時の心情のナレーションで入ったほうがよかったんじゃないですかね。または画をリトアニアの美しい風景にするとか、まあ余計なことではあります。
リトアニアに到着後のコヴァスはアメリカとの違いを肌で感じている様子です。風景にしても人々にしてもということです。コヴァスにはほとんど台詞もありませんし、表情もあまり変わりません。そうした演出がなされているんだろうと思います。
ヴィクトリアからはお菓子をあげて友だちをつくってきなさいみたいなことを言われて、コヴァスのことをアメリカ人?と興味深げに見ている子どもたちにガムをあげて話しかけますがそれ以上続きません。後には学校でお菓子だけたかられる(そんな感じという程度の意味…)ようなシーンもあります。
ヴィクトリアは帰国後に元恋人と思われるロマス(ダリウス・グマウスカス)に頼ることになりますが、ロマスにはコヴァスと同年代のマリヤ(バルボラ・バレイキテ)という娘がいます。こういう設定ですと、この二人の関係が描かれるのかなと思いますが、これもほとんどこれといった展開はありません。コヴァスが親しくなりたいと思っている描き方ではありますがただ見ているだけです。
映画冒頭のシークエンスではコヴァスが空港の売店で成人向け雑誌を万引きするシーンがあり、後にヴィクトリアに見つかりしらばっくれたりしますので、いわゆる思春期の性の目覚めみたいものを描こうという意図はあるんだろうとは思います。
また、コヴァスはこれまでとは違った母親の姿を見ることになります。ヴィクトリアは帰国前からロマスに連絡しており、帰国後始終一緒にいることになります。ヴィクトリアも当初はコヴァスの視線を意識してロマスと一定の距離を置こうとしているところもありますが、それも次第に変化し、映画終盤にはベッドで抱き合うことになり、それをコヴァスが覗き見るシーンがあります。ただ、ここでもその後ヴァスになにか変化が起きるわけではありません。
おそらくコヴァスにはリトアニア移民の子としてアメリカで育ったトーマス・ヴェングリス監督自身が反映されているんだとは思います。そうしたこともあるのか、約100分のドラマとしては構成しきれていない感じではあります。やはりコヴァスがあまり変化していかないことがこの映画をとりとめないものと感じさせているということになります。
家と土地の顛末
で、そもそもの映画の基本的な軸である土地や家がどうなったかです。
ヴィクトリアは帰国前からロマスに連絡を取り、土地の登記は変更されていないことは確認していたようです。そして到着後その土地に訪れてみますと家は残されているものの見知らぬロシア人が住んでいます。字幕ではその表記がなくわかりませんでしたがそうらしいです。
ロマスにしても関わることを避けるように今日はひとまず帰ろうとヴィクトリアを促していましたのでそうした緊迫感のある時代ということだと思います。こうした時代背景が感じられないと伝わりにくい映画ではあります。字幕の難しいところはこういう点にあり、単に翻訳しているだけでは映画の本質的なことが伝わらないことがあり得るということです。
結局、その時代、ロシア人が住んでいるということは行政や法律に頼ってどうこうなるということではないのでしょう。神経質になるヴィクトリアにロマスはなんとかすると言い、ある人物に相談します。
その人物の得体が知れないんです。演出ととしてもかなりアブナイ感じの人物になっているのですが、それよりも映画がコヴァス視点ですのでコヴァスと接点がない人物は映像的にも物語的にもかなり遠景に追いやられており、かなりの行動派(?)と思われる人物であるにもかかわらず存在としてオフっぽいのです。
この人物とともに再度件の家を訪れたときには、住人に追い払われてロマスとヴィクトリアが引き下がろうと車に戻ったときに、車の中のコヴァスの見た目の映像として、その人物が自分の車からライフル銃を持って下りてぶっ放すシーンがあります。なぜぶっ放したのか、それでどうなったのかはわかりません。そういう映画ということです。
その行動派人物はその後も 1、2シーンで登場しますが、とにかくコヴァスの見た目の引いた画で描かれますのでよくわかりません。
映画の展開としては、その後、ロマスの家に泊まることになり、そこでマリヤと出会い、コヴァスがマリヤに車の運転を教わったり、やややんちゃに見える男の子たちと知り合ったり、さらにロマスがヴィクトリアにもうひとりの男を紹介したりします。この男もなんのために出てきたのかよくわかりません。
そして映画終盤、あまり経緯を記憶していませんが、件の家から火の手が上がります。その時、コヴァスとマリヤは車でその家に行っていたんだったか、その帰りだったかに行動派の男の車とすれ違います。
ヴィクトリアの家は燃えてなくなります。そして、失意のヴィクトリアが海辺で嘆くのがキービジュアルの画像です。
その姿を遠くから見つめるコヴァスです。
感想:もうひとつ何かが足りない
最初に書きましたように映像としては興味深く感じますが、やはりドラマ的には100分は持ちません。コヴァス視点で作られているのにそのコヴァスが変化していかないことが一番の問題だと思います。
短編であればコヴァスの思いだけでいい印象を残すことも可能ですが、長編であればやはり観る者の気持ちを引き込んで引っ張っていく何らかの力が必要です。やろうとしている意図は明確ですし、映像的には達成できているわけですのでもうひとつ何かがあればという映画です。
トーマス・ヴェングリス監督はこの映画が初の長編であり、IMDb によればエディターとしてのキャリアが10年ほど記載されています。編集という点ではあまり記憶に残る印象はありませんが、映像のセンスはとてもいいです。もちろん撮影監督のセンスということもあるとは思います。
なお、こういう映画ですのであまり製作年に意味はありませんが、念の為、この映画は2019年製作です。
日本では杉原千畝さんの名前とともによく目にするリトアニア、一度行ってみたい国ではあります。