言葉を大切にしている原作に敬意のない映画制作者たち
んー、これはそもそもの企画が間違っているんじゃないですかね。まあ想像ですが、日本でも台湾でも売りたいという企画なんでしょうが、要はキャスティングに無理があるということです。

ネタバレあらすじ
言うまでもなく、吉本ばななさんの連作短編集『ミトンとふびん』からの一遍『SINSIN AND THE MOUSE』の映画化です。
吉本ばななさんの小説を読んでいる人であればこんな「言葉」の扱いをしないと思いますけどね。
もちろんシンシンを演じているツェン・ジンホア(曽敬驊)さんが悪いわけではありません。キャスティングも演出ですし、映画の、最もといっていいほど重要な要素ということです。
おそらくツェン・ジンホアさんはこの映画のために初めて日本語を学んだんでしょう。どこかの時点で見極めるべきですし、キャスティングを変更できないのであればシナリオを変更すべきです。相手に気持ちを伝えることはよどみなく言葉を発することではありません。片言でも気持ちを伝えることはできます。そうしたシナリオに変更すべきです。
日本語をよどみなく(つっかえずにという意味…)話すシンシンでなくとも原作の持っているものは崩れません。
ただでさえシンシンの台詞はニュアンスが難しい上に、この映画、重要な台詞はすべてシンシンのものであり、ちづみはその言葉を受け止め、考え、自分に重ね合わせ、そして変化が起き、表情や立ち振舞に現れていくという映画だと思います。そのきっかけとなる台詞にその人の思いや迷いが宿っていなければ受ける方もどうしていいかわからなくなります。ちづみを演じる岸井ゆきのにはその戸惑いが現れています。
岸井ゆきのさん、戸惑う
母を失くしたちづみ(岸井ゆきの)が、友人のミュージシャン マサミチ(藤原季節)から気晴らしに台北のライブを観に来ないかと誘われて台北へ行き、シンシン(ツェン・ジンホア)と出会い、互いの孤独感を共有し合うという話です。
ちづみの母(余貴美子)はちづみが中学生くらい(の感じだった…)のときに離婚しており、その夫が言うには、ちづみの母はちづみを愛するがあまり自分の方を向かなくなったから浮気したということです。
その言い分はともかくとして、ちづみと母は共依存であり、母を失ったちづみの喪失感は相当なものという設定です。あえて設定と書いているのは、そう見えるかどうかを問題にしているのではなく、そう見えるような画でそう見えるように構成している意図そのものが見えてしまっているということです。
ちづみはマサミチの妻(中田青渚)の友人シンシンを紹介されます。4人で食事をし、その後、次の日のライブまで二人は町を歩いたり、お茶したりと二人の会話シーンがほぼ最後まで続きます。
シンシンの母は台湾人で父は日本人です。すでに離婚しており、シンシンは日本と台湾を行ったり来たりしていると言っています。会話はすべて日本語です。
そのシンシンがいきなりちづみさんって小さくてネズミみたいだと言い出します。さらに、手のひらに取って握りつぶせそうだとか、セックスのときでも押しつぶせちゃいそうだ(台詞は正確ではない…)などと言います。
え? って思いますわね。それがフォローされないんです。いくら失礼でしたか? とか、いつもはこんなことを言う自分じゃないと言ったって、この映画のつくりじゃ無理です。私ならその場で帰っていますね(笑)。これ、日本語話者でも難しいですよ。ああ、逆ですね。日本語話者ならこんなこと言わないわけですから、むしろ違う価値観の優しさや思いがこもっていないといけない台詞ということですね。
シンシンはそのわけを語り始めます。シンシンの母は歌手(モデルと言っていたような…)で家を空けることが多く、シンシンは子どもの頃、ひとりで絵本『ないしょのおともだち』を読み、壁の中のネズミを友だちのように感じていたというのです。
そうした会話が続き、最後のシーンでは、シンシンは自分の誕生日を知らないと言い、母親が忙しくて出生届を出さなかった(その後出したと思うけど…)と涙を流します(寂しそうな顔だけだったかも…)。ちづみは思わずシンシンを抱きしめ、そして二人はキスをします。
誕生日の話もキスも原作にはないと思いますけどね。
その後は、マサミチのライブシーンもなく、日本に戻ったちづみが公園のベンチにぼんやりと座っている姿で終わっています。
感想:原作への敬意がない
シンシンがちづみに向かってネズミのようだと言い、そのわけを話すくだりをこれでいいと思うのであれば映画制作者としてちょっとまずいんじゃないですかね。
あらためて言いますが、ツェン・ジンホア(曽敬驊)さんの問題ではありません。言葉を大事にしなくてはいけない題材に対してこういうキャスティングでそれが果たせると考える映画制作者の問題です。
ところで、ちづみと母の関係やネズミのくだりですが、吉本ばななさんがひと月ほど前に note で公開した母親や姉ハルノ宵子さんとの関係を知りますとまた違ったふうにみえてきます。
この原作は5年ほど前に発行されたものであり、その時吉本ばななさんがこの note と同じ心境であったとすればという話です。興味があればどうぞ。