雄太(柄本佑)が主人公なのにそのメモリーズじゃない物語というのは…
坂⻄未郁(さかにしみいく)監督の長編デビュー作です。1992年生まれとありますので34歳くらいの方です。京都造形芸術⼤学卒業後は石井裕也監督の助監督とか、他の監督の映画ですがメイキングのカメラマンなどをやってきているとあります。

ネタバレあらすじ
写真や動画を撮ったり撮られたり、過去の写真や動画を見たり見せたりする映画です。
ラスト近くのスライドショーのシーンでは、雄太(柄本佑)の義理の父 誠(イッセー尾形)が撮った、すでに亡くなっている妻(香椎由宇)と娘ゆきの写真と、雄太が撮った、妻である大人のゆき(穂志もえか)と娘の動画を交錯させて見せていました。
いきなりこういう書き方はわかりにくいですね(笑)。
雄太と誠の日常、ゆきの日々
雄太(柄本佑)とゆき(穂志もえか)は5歳くらいの娘と東京で暮らしています。大分で暮らすゆきの父 誠が足を骨折したために雄太が2ヶ月程度の予定で身の回りの世話をすることになります。誠は一人暮らしでで写真館を営んでいます。
雄太がフェリーで大分に向かうところから始まります。フェリーの窓から外を見る人のカットが10カットぐらい続きます。雄太というわけではなくそれぞれ違う人です。カメラは固定されていますので外を見る人だけ変わっていきます。
続いて、ゆきが出発ロビーの雄太と娘をガラスの向こうのフェリーを背景にして逆光のままスマホで動画を撮ったり、逆に雄太がゆきと娘を撮ったりというシーンが続きます。
そして、あれは阿蘇ですね。その田舎道を走る車内からの映像がありますので雄太が誠の写真館に向かう画だと思います。途中で車を止めて放牧された馬を見ながら朝食のサンドイッチを食べ、写真館ではこむぎという犬の散歩をし、生け垣を整える住人と出会い、自転車で追い越していく女性に見入り、写真館に戻り、誠に声を掛け、準備中の看板を営業中に変え、誠の手伝いをし、昼食の弁当を一緒に食べ、一日を終えます。
という雄太と誠の日常が描かれ、時々そこに東京でツアーガイドをしているゆきの日々や娘との生活が挿入されていきます。
そしてラスト近くになり、すでに書いた。誠が亡くなった妻とゆきの子ども時代の写真を雄太にスライドショーで見せるシーンがあり、その後いっきに数カ月ほど飛び、骨折が完治した誠のもとに娘であるゆき母子も訪ねてきているようで、皆で野焼きを見るシーンがあります。
記録と記憶? 野焼き?
この映画に関して「記録と記憶」という言葉をなにかで目にしており、ああ、それがテーマの映画なのかなとは思います。とにかくほとんどのシーンで写真や動画を撮ったり、過去の映像が流れたりします。
雄太は朝のルーティンの犬の散歩中に目につくものがあればすぐにスマホで撮ります。民家に干してあるちょっと変わったタオルとか、長距離トラックの愛しているぜ(ちょっと違う…)と書かれた仕切りのカーテンとか、放牧された馬の世話をする人とか、そんな感じのものを撮っています。
誠は写真館をやっていますので学校での卒業写真(かな…)の撮影やブライダル写真を撮るシーンがあります。
ゆきは東京で中国人向けのツアーガイドをやっており、スマホで記念の写真を撮ったりします。また、自分と娘を撮った動画を雄太に送り、それを雄太が見ている設定でその映像がスクリーンに流れます。
たしかに映像に関わるシーンがほとんどですし、その当事者にしてみればどんなものであれ過去の映像というものは記憶を呼び覚ますでしょうし、今撮っている映像は記録といえば記録です。ただ、呼び覚まされる人物が雄太ではなく誠であるというのは物語のポイントがズレていますし、それを許容するとしてもそうした誠を見ての雄太の心の動きが希薄すぎます。
「記録と記憶」がテーマであるとするならスライドショーのシーンをもっと大切にすべきです。
それに野焼きが唐突ですね。記録と記憶、野焼き、どっち?
感想:短編の題材ですね
率直に言いますと、短編ならともかく長編としては難しいです(ゴメン…)。
スライドショーのシーン、自分が撮った亡くなった妻と娘の写真と20年後くらいのその娘と孫娘の映像をダブらせて30分程度の叙情的な映画にすれば「記録と記憶」の映画になったかもしれません。そもそも記憶とは叙情的なものですので整合性は高いです。
全体としては何をやろうとしているのかが見えてこないです。たぶん長編に見合うだけのしっかりした物語が考えられていないからでしょう。なにか物語をつくらなくちゃいけないとの気持ちが裏目に出てあざとさが目につく展開になっています。
雄太が誠の世話をすることにした説得力のなさ、フェリーでの移動の違和感、誠の住まいとかなり離れていると思われるところにアパートを借りる不可解さ、現実感のないに日常描写、どれもしっくりきません。
何をおいても野焼きのおさまりが悪すぎます。誠に野焼きの記憶を話させて関連させようとしていますが取ってつけたようになっています。野焼きの映像があるとか、ゆきの記憶が描写されるとかがあればまだしもです。
結局、主人公である雄太の記録でも記憶でもない物語ということが一番問題なんじゃないでしょうか。