女性が持つ、あるいは女性しか持つことができない心の奥底に渦巻く表現し難い何ものか
「ビューティフル・デイ」のリン・ラムジー監督、その前の「少年は残酷な弓を射る」や「モーヴァン」も観ていますが書かなかったみたいです。その二作の映画はもうほとんど思い出せませんのでそれだけ強い印象はなかったということだと思います。かなり寡作な監督で、撮る環境が整わないのか、この「DIE MY LOVE/ダイ・マイ・ラブ」も7年ぶりです。

ネタバレあらすじ
女性が狂気に陥っていくさまが描かれていくのですが、それが何に起因しているのかがよくわからない映画です。
産後うつ、夫とのセックスレス、孤独、子どもへの愛着不全、そうしたものを匂わせてはいるのですが、これといった納得できるものは感じられません。おそらくそれはリン・ラムジー監督の意図するところであり、それらすべてを含んだ女性が抱える生存の不安と言いますか実存的な焦燥感を描こうとしたんじゃないかと思います。
それにしてもわかりにくいですね(笑)。
時系列を前後させたり、幻想シーンを入れて描いているのかなと思って観ていたんですが、ウィキペディアを読みますとほぼ時系列通りのようですし、幻想に見えたシーンも現実のようです。
グレースの精神的な不調
グレース(ジェニファー・ローレンス)とジャクソン(ロバート・パティンソン)がニューヨークからモンタナ(ウィキペディアによる…)の田舎の家に引っ越してきます。そこは亡くなったジャクソンの叔父の家です。近くにはジャクソンの両親ハリーとパムが暮らしています。
グレースは作家であり、落ち着いて書けるだろうとお互いに満足そうです。二人は愛し合っているようですし、グレースは大きなお腹を抱えています。
しかし、子どもが生まれた頃からグレースの様子がおかしくなっていきます。ジャクソンが仕事で家をあけることが多くなります。グレースはジャクソンの裏切りを感じますが、むちゃくちゃ田舎の設定でしたのでおそらくその通りでしょう。辺りに家一軒ない荒野の一本道をグレースがベビーカーを押して歩くシーンが何度かあります。
グレースの精神不調を表現するシーンがランダムに続きます。時間を持て余すシーン、自慰するシーン、ジャクソンの車の中でコンドームを見つけ言い争いになるシーン、車の中でセックスを求めるシーン、ジャクソンが拾ってきた犬をグレースが撃ち殺すシーン、家の前を走るバイクの男と関係を持つシーン、ガラス窓に自らぶつかって血まみれになるシーン、結婚式の異常なハイテンションとひとり戻ったスイートルームでのコンシェルジュを誘惑するような電話のシーン、物語的な脈略なく続きます。
精神的におかしくなるというのはこういうことだということです。
グレース不調、その背景は…
グレースのそうした不調に対してジャクソンが正面から向き合うようには描かれていません。と言うよりもグレースを描くことに焦点が合わされていますのでジャクソンの存在感は薄いです。見ようによってはグレースがどんなに無茶なことを言っても支え続けるジャクソンにも見えます。
そうした中で、はっきりと因果関係が語られるわけではありませんがグレースの変化に影響を与えているのではないかと思われるシーンがいくつか挿入されています。
ジャクソンの父ハリーが亡くなります。靴のシーンとかグレースになにか思い入れがあるようにも見えるシーンがあります。ジャクソンの母パムからジャクソンの叔父の死因は自殺であり、自分でお尻を撃ったと聞かされます。グレースが撃ち殺した犬はいつもきゃんきゃんと吠えてグレースを苛立たせていました。
ジャクソンはグレースを精神科病院に入院させます。医師との話の中でグレースの両親はグレースが幼い頃に飛行機事故でなくなっていることが明らかにされます。
グレースが退院します。そのパーティーではグレースと来客との会話でどこかか頑なさが示されます。あのパーティーはどこで行われたのか、パムの家でしょうか、その帰りの車の中で静かめの口論となり、そしてグレースは「Enough(もう十分)」と言い、車を下りて森の中へ入っていきます。
グレースは自らが書いた本に火をつけ、森の木々の中に放ちます。木々が燃え始めます。グレースはドレスを脱ぎ裸になり火の中に入っていきます。
感想:心の奥底に渦巻く表現し難い何ものか
原作はアルゼンチンの作家 Ariana Harwicz(アリアナ・ハルウィッツ)さんの「Mátate, amor(Die, My Love)です。
日本語版がありますね。この映画に合わせて出版されたのかもしれません。
日本語タイトルは『死んでよ、アモール』、スペイン語の原題『Mátate, amor』にしても英題『Die, My Love』にしても「死ね」の後にカンマが入っています。「ダイ・マイ・ラブ」なんて語呂のいいニュアンスではなさそうです。
直訳すれば「死になよ、愛する人」という意味になり、絶望したグレースが自らにかけている言葉でしょうか。そうだとすれば映画はそれを映像化していることになります。
とにかく実感としては感じにくい映画ではありますが、最初に書きました、産後うつ、夫とのセックスレス、孤独、子どもへの愛着不全といった産後の女性が持つ精神的な不安定さ、つまりは女性が持つ、あるいは女性しか持つことができない心の奥底に渦巻く表現し難い何ものかが描かれた映画と言えます。
さらに言えば、そうだとして、逆の見方をすれば、女性という性は子どもを持つことを宿命づけられているがゆえに(持つべきという意味ではない…)持たない選択をすることにもとんでもない抑圧的な力がかかる選択だということになります。
そんなことを感じた映画です。