バカ塗りの娘

津軽塗を見たい、知りたいと思っても映画が応えてくれない…

津軽塗を取り上げたご当地映画か、と思いましたらそうではなく、盛夏子さんというプロデューサーの「ものを作る工程を見るのがすごく好き(公式サイト)」から始まった企画もののようです。主演は堀田真由さんと小林薫さん、監督は「まく子」「過ぐる日のやまねこ」の鶴岡慧子さんです。

バカ塗りの娘 / 監督:鶴岡慧子

ものづくりというよりも家族もの…

原作があります。高森美由紀さんの小説『ジャパン・ディグニティ』、暮らしの小説大賞第一回受賞作になっています。

出版社のサイトに小説のあらすじがありますが、基本設定はおおむね守られて映画はつくられているようです。そのあらすじの最後に「青森の津軽塗を通して紡ぐ、父娘の絆と家族の物語」とあります。

このコピーが単なる宣伝文句ではなく小説のテーマであるのなら映画は正解だったのかも知れません。というのは、映画からはあまり「津軽塗」への愛が感じられなく、これじゃあ家族もの映画だなあと思いながら見ていたからです。

漆職人青木清史郎(小林薫)の家族の物語であり、また娘美也子(堀田真由)がその跡を継ぎ漆職人の道に踏み出す物語です。

家族ものとしても凡庸…

清史郎は個人で工房を営みお椀や箸の漆器をつくっています。経営は厳しそうです。清史郎の父清治は文部大臣賞を受賞したことのある名匠で現在は老人ホームで暮しています。跡継ぎと期待された息子ユウ(坂東龍汰)は家を出て美容師として働いています。妻(片岡礼子)は出ていったとなっています。

物語のベースとなるこの家族関係がパターンに頼って凡庸です。

なぜ妻(名前がない…)やユウが家を出ていったのかわかりません。人は貧乏だからといってそう簡単には出ていったりしませんし、そうせざるを得ないほど貧乏には描かれていません。子どもの頃には父親の背中を見ていたユウがその父親に反感を持つようになるにはそれ相応の理由が必要です。ユウがそうせざるを得ないほどの清史郎に描かれていません。

職人気質で頑固親父のステレオタイプを利用しているのなら、また、利用しているにしてもそれを実際に描かなければ物語は深まりません。

娘の美也子(堀田真由)はスーパーで働きながら、時に清史郎を手伝っています。スーパーでの美也子は要領が悪く失敗を重ねています。

客が何人も待っているのにレジでぼんやりしたり、個数限定の特売品を夫の分だとごねる客にどぎまぎするわざとらしいシーンを入れても引っ込み思案の人物にはなりません。

ある日、ユウが話があるとひとりの男性を連れてやってきます。ふたりでロンドンに移り結婚すると言います。清史郎は同性婚であることには特に反応せず、ユウは青木家の跡継ぎだから(ということだと思うがはっきりしない…)と言おうとしますがユウに遮られます。

なんとも中途半端なシーンです。同性であることに驚いたり戸惑ったりさせることを避けたんでしょう。それに、ユウの相手の男性を使って美也子を廃校のピアノと巡り合わせるための段取りでもあります。

実はユウが連れてきた男性は美也子が仕事への行き帰りに見かける花屋の男性で美也子が気にかけていた人物なんです。美也子が混乱するシーンを入れるわけでもありませんのでそんな設定が必要なのかとは思いますが、とにかくその男性と美也子のシーンをつくりやすくする意図なんでしょう、その男性はユウとよく忍び込んだと言い、廃校となった学校に美也子を連れていきます。

そこで美也子はピアノと運命的な出会いをします。運命的? そんなふうには描かれてはいませんがその後の展開はそういうことです。

津軽塗を見たいのに応えてくれない…

美也子は廃校に残されていたピアノに触れて、これを漆塗りにしてみようと思い立ちます。学校や行政に許可をもらい、教室に即席の乾燥室を作り、泊まり込んでまで作業を進めます。

問題はこういうところです。

漆塗りの作業のシーンはここと前半に清史郎の工房でのシーンがあります。工房のシーンはそれなりの長さがありましたが、なんて言いますか、カメラが津軽塗とは何なのかを知りたいと思っているようにはみえないんです。紹介映像のようとでも言えばいいのか、知りたいとか、見てみたいとかの気持ちに応えてくれないんです。

美也子がピアノに漆塗りを施すシーンにいたってはそのもののシーンはかなり少ないです。そもそもの設定が無理だとは思いますが、少なくともそれを映画の軸にして構成しているわけですから、いきなり世界的な評価を受けるなどという荒唐無稽な話など持ち込まずに、失敗に失敗を重ねそれでも美也子が充実感を得るという描き方もあるんじゃないかと思います。

ところで、上に書いた乾燥室、美也子がダンボールで囲っていたスペースがそのようですが、漆の乾燥とは水分が飛んで乾くということではなく、漆の成分が空気中の水分から酸素を取り込んで硬化することをいうらしく、そのためには湿度が70%~85%、温度が20度~30度(解説サイトによって多少異なる…)が必要ということです。漆風呂と呼ばれるらしく、清史郎がお椀を出し入れしていたサッシの部屋がそれです。

ですので、現実的には真冬の廃校の教室につくったダンボールの小部屋では無理でしょう。映画ですからそうしたごまかしがだめとは思いませんし、専門家のアドバイスを得ているかもしれませんのでそれはそれとするにしてもです、あんな簡単に美也子が世界的評価を受けるのであれば、清史郎の何十年にもなる人生は何だったのかということになってしまいます。それこそ津軽塗へのリスペクトの問題じゃないでしょうか。

そして、家族は何もなかったかのように…

美也子の祖父清治が亡くなります。葬式の日、母が弔問に来ますが、居づらそうで早々に帰っていきます。続いて、ユウとパートナーの男性がロンドンから戻り、ユウは祖父の遺影を前にして漆の箸を握りしめ涙を流します。その後は何もなかったかのように皆で酒を酌み交わし大団円です。

で、終わりではなく、すでに書きましたように美也子のピアノがよくわからない関西弁(京都弁?)の男女によって、これまたよくわからない外国人の女性に紹介され、ヨーロッパの展覧会(か何か…)に出品されることになり、美也子はヨーロッパへ旅立っていきます。清史郎が笑顔で見送っています。

という映画です。

原作のもっている空気感もあるのかも知れませんが、せっかく津軽塗を取り上げるのであれば津軽塗を好きにならないとだめじゃないかと思います。

ものづくり映画ではありませんし、比べるのもなんですが、同じ津軽の話で「いとみち」なんていい映画もあります。日本文化つながりでいえば「日日是好日」というお茶を始めたくなるような映画もあります。ご当地映画でいえば「夕陽のあと」というご当地が生かされた映画もあります。